沢の螢

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かなし
2004年09月11日(土)

昨日、連句会でのこと。
6人ずつ2席にわかれて、付け合いが始まった。
捌き手は、この道20年になる達人、ほかの人も、みな連句歴10年以上のベテラン。
式目(連句のルール)など、今さら言わなくても、みな、頭に入っている。
私は、新米の部類だが、新陳代謝も必要と見えて、この2年ほど前から、時々誘って貰う。
声を掛けて貰った時は、ほかの座に優先していくことにしている。
厳しいが、そこでは、かなり鍛えられるので、充足感があるからである。
私のいた席では、歌仙9句目に入って、ちょうど恋句を出すところだった。
そこである人が「なで肩の人を抱いてやりたいが、それは人の妻である」という意味の句を出した。
著作権に触れるので、五七五の句形をそのままここで引用するのは、差し控えるが、句意は上に書いたとおりである。
次の付け句は短句である。即座に短冊が出される。
みな、付けるのが早い。
私も、一句出した。
出された短冊は、捌きが吟味して、これはと思う句があれば、すぐに採るし、なかなかいい句が出ない時は、しばらく待ったりする。
何句か出たところで、「この句を戴きます」と採られたのが、私の句だった。

愛しといふ字かなしともよむ

前句は人妻に横恋慕する句である。
だから、俗に堕さないように、ちょっと外したのである。
図らずも、その心がわかってもらえて、いい気分であった。
それに別の人が付けたのが、「自動ピアノがいつまでも鳴り止まない」という意味の句で、格調高くまとまった。
連句が面白いなあと思うのは、こんな時である。
一歩間違えれば、低俗になってしまうものが、複数の人の奏でるハーモニーによって、詩的空間を作り上げる。
予想せぬ世界が展開される醍醐味であろうか。
午前11時から始まり、お弁当を食べ、お酒やお菓子をつまみながら、歌仙36句が巻きあがったのは、4時前であった。
もうひとつの席も、大体同じようなペースで進行した。

ところで「かなし」という言葉は、愛しとも、悲しとも書く。
古語である。
切なさ、愛しさ、哀しさ、可愛さ、つらさ、こわさ・・・いろいろな意味を含んでいる。
短歌をやっている知人で、「かなし」という言葉が、死ぬほど好きと言った人がいた。
ほかの言葉では取って代われない、深い意味があるからと言うのである。
万葉集、古今、伊勢物語、源氏ほか、日本の古典文学には、この言葉が良く出てくる。
現代語では、ピッタリ来る言葉がない。
こういう言葉に接すると、日本語の持つエロキューションの豊かさに感動し、日本人が昔からもっていた、もののあわれを、思うのである。



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