沢の螢

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ご近所の噂
2004年09月01日(水)

9月になった。
暑さがぶり返して、30度を超えている。
今日は防災の日だとか。
町内会で、防災訓練をやるから参加してくださいという回覧板が回ってきた。
毎年のことだが、私は参加したことがない。
こういう訓練が始まった頃は、消火器の使い方や、担架で怪我人を運ぶ訓練など、物珍しさもあって、参加者が結構あったようだが、最近は、行事だから仕方なくといった感じで、主催者も、熱心ではないし、参加者も多くないらしい。
町会の当番の時も、私はパスさせて貰った。
「何かあった時、助けて貰えませんよ」とイヤミを言われたが、「結構です。そんなときは、あきらめますから、どうぞお構いなく」と言った。
神戸の地震のような規模で、東京に震災があった場合、町内会レベルの防災訓練がどのくらい役に立つかわからないが、多分、多くの死者、罹災者が出るだろう。
そんな場合のことを、いろいろ備えている人もいるが、私はこういう点にかけては、人智の及ぶところではないと考えている。
そんなときは、すぐ近くの市役所広場に行くという話だけは、家族の間でしているが、それ以上のことは、運を天に任せる。
「あの人は防災訓練に出なかったから、助けるのは後回し」と言われたら、それも運命だと思ってあきらめる。
でも、私自身は、イザという時、自分の力で助けられる人が傍にいたら、日ごろ付き合いのない人でも、助けたいと思う。

ところで、ご近所というと、私の場合、ご挨拶程度で、ほとんど付き合いはない。
ゴミを出したり、家の周りの道路を掃いたりしている時に、顔を合わせれば、「暑いですね」と言うくらいである。
子どもの小さい時は、子どもの遊び仲間のお母さん達と、多少の行き来はあったが、高校生になり、電車通学をし始めると、近所で一緒に何かをするという必然性もなくなる。
お互い、干渉し合わず、平和に暮らしましょうという感じになってくる。
ご近所というのは、仲良く付き合っている間はいいが、いったん拗れると、ややこしい。
遠くにいる人なら、そのまま会わなければいいが、近所は、イヤだから引っ越しますというわけには行かないのである。
それがわかっているので、みな礼儀正しく距離を置き、つかず離れずで過ごすのである。

私が引っ越してきた頃、まだ30代のはじめだったが、ホットな付き合いを好む一世代上の人たちに、ずいぶんいじめられた。
味噌や醤油まで借りる付き合い方をしてきた人たちにとっては、半径500メートルくらいが全世界なので、その中で、自分たちと違うスタンスで付き合う人の存在は、許し難かったのである。
人がどんな暮らし方をしているかが、最大関心事であり、すべてをさらけ出さないと、仲間に入れてやらないと言うところがあった。
人が来れば、それはどこの誰かと訊きたがり、外出の途中で会えば、行き先を確かめないと気が済まない。
留守中に、物を預かって貰ったりするとあとが大変である。
つまらぬ噂のタネにする。
こちらが若いのだからと、何事も低姿勢にしてきたが、ある時、そういう態度は、むしろマイナスであると気づいた。
子どものイジメにもあるが、いつも苛められ役になっていると、相手は、図に乗って、イジメがエスカレートするのである。
そして、子どもにまで及ぶ。
子どもというのは敏感だから、親同士の力関係を察知して、同じことを子ども同士の関係に応用する。
ある時、息子が、近所の悪ガキに苛められて、泣いて帰ってきた。
そこで私はキレたのである。
その頃集団登校していて、私の息子は、一番下級生で、上の学年の子達の、苛められ役になっていた。
子どもの世界のことだから、余り口を出すまいと思っていた。
しかし度重なることに、これは、親の出番だと判断した。
相手の子を呼びつけ、怒鳴りつけた。
その勢いがあまりにすさまじかったらしく、ほかの子ども達も集まってきた。
あとには引けない。
私は、何故、いつも、一番小さい息子が苛められなければならないのかを、いじめっ子に、問いつめ、「文句があったらお母さんを呼んでらっしゃい」と言った。
その子は、すぐに呼びに行った。
その母親は、日ごろ私に何かと、イヤな仕打ちをしてきた人である。
もし来たら、今までのことも含め、ぶちまけるつもりだった。
息子は、涙のにじんだ泥だらけの顔で、成り行きを見ている。
子どもの為である。
村八分になっても構わないと思った。
そのときの私は、般若のような顔つきをしていたであろう。
自分が子どもの頃、いじめられた記憶も蘇っていた。
門前で、両足を開いて立ち、腕組みをして、相手の来るのを待った。
ところが、いじめっ子も、その母親も現れなかったのである。
成り行きを遠くから見ていて、ご注進に及んだ母親もいたはずだが、何故か、問題の親子は出てこなかった。
私は、集まっていた子ども達に「今度こんなことがあったら、誰でも、許さないからね。私が相手になるから、いつでもいらっしゃい」と言って、帰した。
その件については、瞬く間に知れ渡り、噂すずめたちの、格好の話題になったはずだが、私の耳には入ってこなかった。
多分、私が、般若のようなものすごい顔で、いじめっ子を睨んでいたことは、充分尾ひれを付けて、伝わったであろう。
集団登校は続いたが、息子は、前のようにいじめられることは、なくなったらしかった。
ある時、いじめっ子の母親に道でバッタリ会った。
先に会釈したのは、向こうだった。
私も何事もなかったように、挨拶を返した。

それから何十年も経ち、意気軒昂だったその世代の人たちが、次々と老化してきている。
連れあいを亡くしたり、病気で介護の対象になったりしている。
私が、イジメ三婆と、ひそかに名付けていたグループも、一人は癌で、7年前に故人となった。
70歳近くになって遺されたその連れ合いは、妻亡き後、しばらく意気消沈していたが、このところ、にわかに生き生きしてきた。
カラオケに夢中になり、市内のカラオケクラブで、長をやっているらしい。
私の夫も誘われたが、「私はコーラスの方で・・」と言ったら、それ以上誘わない。
「市内の人とは、余り付き合いたくないよ」というのは、私と同意見である。
最近になり、男1人暮らしのその家に、60歳過ぎの女性が引っ越してきた。
夫が道を掃いていたら、向こうから挨拶されたらしい。
カラオケの先生をしていて、生徒の一人であるその家の2階に、間借りすることになったというのである。
多分、同じく連れあいを亡くした人なのであろう。
「大丈夫かなあ、家ごと乗っ取られるんじゃないかなあ」と、夫は要らぬ心配をしている。
ときどき、その家からデュエットの歌声が聞こえてくる。
近所では、老いらくの恋などと噂してるらしいが、本当は羨ましいのであろう。
時代が変わったと思う。
夫婦でもない、いい年の男女がひとつ屋根の下に住んでも、昔ほど驚かなくなった。
近所のうわさ話で空しい老後を送る入り、どれだけいいかわからない。
「あなたも、私が先に死んだら、あんな風にする?」と夫に訊いたら、「死んだ後のことまで考えずに、安らかに逝きなさい」という答が帰ってきた。



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