昨日あたりから、とても涼しい。 歳時記ではとっくに秋だが、先週あたりまでは、まだまだ夏の暑さが残っていた。 22日から24日にかけて、熱海に行った。 百韻連句があったからで、16人が集まった。 熱海に、年間契約でマンションを借りている人の世話である。 連句は二つの座に分かれ、どちらも、果敢に愉しく終わった。 熱海まで行っても、海を見るわけでも、観光するわけでもない。 いちばん大きな部屋に集まって、ひたすら連句を巻く。 食事を挟み、連句の合間に温泉にはいる。 連句をしながら、お酒を飲み、甘い物、辛い物をつまむ。 麻雀やブリッジと同じようなもので、愉しいのは参加者だけ。 これこそ、踊るアホウにならなければ、何の価値もない世界である。 連句は、長句と短句を交互に付けていく遊びだから、森羅万象、お喋りもあちこちに飛ぶ。 人生経験が充分生かせるので、年齢を重ねたほうが優位に立てるところがあるのが、ほかのことと違う点である。 この世界では、私は若手に属する。 中心になって、意気軒昂なのは、私よりひと世代上の人たちである。 とにかく物をよく知っている。 学校で、読み書きの基本をしっかりたたき込まれているから、古い言葉や言い回し、故事来歴、古典、伝統芸能に関しての知識も豊富である。 生き字引が傍にいるようなもので、お陰で、硬軟取り混ぜ、ずいぶんいろいろなことを教えて貰った。 この世代が弱いのが、敵製語として学校教育から遠ざけられていた外国語。 そして、機械やインターネットなど。 若い世代が、ここぞとばかり発揮できる分野である。 いろいろな世代、価値観や環境の違った人が一座して、巻くのが連句だから、嵌ると足が抜けなくなる。 10年経って、私もそこそこ慣れてきた。 でも、馴れというのはコワイ。 初心者の人が入ってきて、時々とんでもない句を出す反面、手あかの付かない新鮮な句をひょいと出す。 ドキッとして、目を覚まさせられることがある。 いつの間にか、自分は、こういう句が出なくなったなあと気づく。 愉しさ第一で、気のあった人たちと巻いていると面白いが、たまには、おどおどと緊張に満ちた場も必要かも知れない。 ともかくも秋。 パソコンに向かう時間を減らし、積ん読のままになっている書物にも、手を付けねば・・。 オリンピックも終盤である。 夕べは遅くまで、シンクロナイズドスイミングを見た。 私は泳げないので、水の中で、どうしてあんなことが出来るのか、不思議である。 ワザも、だんだん大がかりになって、ビックリする。 日本は、なかなかの演技を見せたが、ロシアにわずか及ばず、銀メダルとなった。
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