沢の螢

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新涼
2004年08月26日(木)

昨日あたりから、とても涼しい。
歳時記ではとっくに秋だが、先週あたりまでは、まだまだ夏の暑さが残っていた。
22日から24日にかけて、熱海に行った。
百韻連句があったからで、16人が集まった。
熱海に、年間契約でマンションを借りている人の世話である。
連句は二つの座に分かれ、どちらも、果敢に愉しく終わった。
熱海まで行っても、海を見るわけでも、観光するわけでもない。
いちばん大きな部屋に集まって、ひたすら連句を巻く。
食事を挟み、連句の合間に温泉にはいる。
連句をしながら、お酒を飲み、甘い物、辛い物をつまむ。
麻雀やブリッジと同じようなもので、愉しいのは参加者だけ。
これこそ、踊るアホウにならなければ、何の価値もない世界である。
連句は、長句と短句を交互に付けていく遊びだから、森羅万象、お喋りもあちこちに飛ぶ。
人生経験が充分生かせるので、年齢を重ねたほうが優位に立てるところがあるのが、ほかのことと違う点である。
この世界では、私は若手に属する。
中心になって、意気軒昂なのは、私よりひと世代上の人たちである。
とにかく物をよく知っている。
学校で、読み書きの基本をしっかりたたき込まれているから、古い言葉や言い回し、故事来歴、古典、伝統芸能に関しての知識も豊富である。
生き字引が傍にいるようなもので、お陰で、硬軟取り混ぜ、ずいぶんいろいろなことを教えて貰った。
この世代が弱いのが、敵製語として学校教育から遠ざけられていた外国語。
そして、機械やインターネットなど。
若い世代が、ここぞとばかり発揮できる分野である。
いろいろな世代、価値観や環境の違った人が一座して、巻くのが連句だから、嵌ると足が抜けなくなる。
10年経って、私もそこそこ慣れてきた。
でも、馴れというのはコワイ。
初心者の人が入ってきて、時々とんでもない句を出す反面、手あかの付かない新鮮な句をひょいと出す。
ドキッとして、目を覚まさせられることがある。
いつの間にか、自分は、こういう句が出なくなったなあと気づく。
愉しさ第一で、気のあった人たちと巻いていると面白いが、たまには、おどおどと緊張に満ちた場も必要かも知れない。
ともかくも秋。
パソコンに向かう時間を減らし、積ん読のままになっている書物にも、手を付けねば・・。

オリンピックも終盤である。
夕べは遅くまで、シンクロナイズドスイミングを見た。
私は泳げないので、水の中で、どうしてあんなことが出来るのか、不思議である。
ワザも、だんだん大がかりになって、ビックリする。
日本は、なかなかの演技を見せたが、ロシアにわずか及ばず、銀メダルとなった。



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