昨日、保坂尚輝の離婚会見があった。 ちょうどリアルタイムで、やっていたので、コマーシャルで中断したとき以外は、その有様を見ていた。 この人のことは、あまり知らなかったが、今回、初めて、彼の喋っているのを聞いて、その男らしさにすっかり惚れてしまった。 妻である女優が、別の男とどこかのバーで、やや親しすぎる情景を写真に撮られたことで、その前から時々出ていた離婚の噂が、一気に結論に行ったように思われていたらしいが、それは直接の原因ではないらしい。 離婚はすでに決まっていて、法的には他人になってからのことだから、そのことで彼女を責めるつもりはないし、彼女自身の口から出ていないので、コメントしないと語ったが、まあ、そんなことは、どうでもいい。 有名人というのは、つらいものである。 本来プライベートな事柄であるはずのことを、世間に晒さねばならない。 弁護士を伴って、記者会見に現れた彼は、この会見を開くについての理由をまず述べ、予め20社のマスコミ関係記者から出ていた質問事項のうち、多いものについて、答えるというやり方で始まった。 私が感心したのは、彼はこの会見中、妻に関する批判、非難めいたことを、ひとことも口にしなかったことである。 そして、二人の子どもに対する親としての気遣い、同居している妻の母や、マスコミ関係者が訪れることに依る近隣への配慮を、述べていた。 もっと感心したのは、問題写真について、相手の男が「火遊びが過ぎた」とコメントしたことについて、「自分が愛した女、子どもの母親である彼女を、そんな風に片づけたことは赦せない」と語り、妻と子どもの名誉回復を訴えたことである。 男と女が、別れるというのは、他人には計り知れないさまざまなことがある。 有名人であってもなくても、それは同じであろう。 彼は、自身が子どもの頃に両親を亡くした経験があって、家族、子ども、と言う結びつきは、ことのほか、大事に考えているように見えた。 法的には離婚という形を取って、妻と自分の、仕事人としてのこれからの人生を尊重したいと言うことのようであるが、家族としては、いまだに一緒に住んでいて、生活上の変化は、何もないと言う。 親権は彼が持ち、それと関係なく、二人で子どもを育てていく姿勢は、変わらないと言う。 アメリカなどでは、珍しいことではない、新しい形の家族像を追求しているのだろうか。 そのあとに、芸能記者団が、つぎつぎと質問したが、あまりのくだらなさと、程度の低さにあきれてしまった。 彼らの関心は、離婚の原因が何かと言うことと、彼の妻であった女優と写真の相手の男とを、彼がどう思っているか、それが離婚にどう結びついたかにあるらしかった。 彼の説明だけでは納得できないし、ニュースにならないと言うのであろうか。 自分たちの描いたドラマに、しきりに誘導しようという気持ちが見え見えで、彼の肉声を、あまり理解していないようであった。 いつものことながら、あんた達、わかっちゃいないのねえ、と、言いたい気持ちであった。 この種の会見は、後で見ると、テレビの都合のいいように編集されて、ゆがめられてしまうことが多い。 当事者達は、それが解っていながら、会見に臨まねばならない。 腹立たしく、不快なことには違いないが、その世界で生きていくからには、ある程度、サービス精神も発揮しなければならない。 でも、テレビというのは、人の生の姿をさらけ出す。 芸能記者達にとっては、解りにくかったらしいこの会見、むしろ保坂の人柄をよく写してくれて、私はいっぺんでファンになってしまった。 別れた妻を人間として認め、それを貶めた相手の男に、決然と挑む姿、それこそ男らしい男である。
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