人の心がとげとげしているのだろうか。 子どもの世界にも、それは反映して、つらい出来事が多すぎる。 11歳の少女が、同級生をカッターナイフで刺し、死に至らしめた事件。 死んだ少女の父は、新聞記者だったこともあって、事件直後、取材に応じたが、一生懸命メディアの質問に答えている姿が痛々しかった。 この人は、数年前に妻を亡くし、今度は娘の受難である。 こころの内を思いやると、何と言っていいかわからない。 少女達の担任だった教師は、事件のショックで、入院してしまった。 また、学校内で起こった惨事なので、事件直後の様子を目撃した子どももいて、その影響も小さくないだろう。 加害者である少女は、今、警察などの手によって、事件の真相や動機などを調べられているらしいが、大人のように簡単ではないようだ。 マスメディアなどでは、連日、いろいろな報道がされているが、いずれも、憶測の域を出ないようである。 事件の原因のひとつに、インターネットをめぐっての、少女達の人間関係が取り沙汰されているが、これも、果たして、どこまでが事実で、どういう点が事件の引き金になったかを、結びつけるのは容易なことではないだろう。 私はこの事件が起きるまで、こんなにも、インターネットが、子どもの世界に深く入り込んでいるとは、想像しなかった。 もちろん、私もインターネットを利用しているし、いろいろな場面で、子どもの域を出ない年齢層が、この世界には、少なからずいるらしいことは、感じていた。 安全のためもあってか、親からケータイを持たされている子どももいるらしい。 小さな画面で、中学生くらいの少年たちが、画像を見せ合って、はしゃいでいる姿も、電車の中で見ている。 学校教育でも、パソコンを使った授業形態が、取り入れられているようだ。 しかし、小学生がホームページを自分で持ち、掲示板で友達との遣り取りをするところまでは、ちょっと想像しなかった。 ホームページも、掲示板も、操作がわかれば簡単だから、誰でも作れるし、設定することも容易い。 問題は、そこに何を載せ、何を伝え、何を受け取るかと言うことなのだが、そこからが、インターネットの使い方の問題になってくる。 それは大人も同じである。 顔を見て物を言うときとは違う気遣い、文字のみが手段であることの限界と制約、その上で相手の真意を読みとる想像力、それらは、大人にとっても、非常に難しいことである。 匿名掲示板で見かける、人を中傷誹謗する汚いことばの遣り取り、直接自分に言われなくても、不快になる。 まだ表現力の充分伴わない子どもが、インターネットで、いい友人関係を保てるのだろうか。 私は、かなり懐疑的である。 虚実の合間の微妙なニュアンスを理解して、いい意味での遊び心がないと、インターネットで気持ちのよい遣り取りをするのは難しい。 そこには、いろいろな意味でのレベルが揃っていないと、成り立たない。 レベルというのは、何も、偏差値がいくつというような、左の脳の問題ではない。 そんなものは、むしろ邪魔になる。 想像力と感性、相手に対する思いやりが大事なのだ。 インターネットに頼りすぎると、虚と実の区別が付かなくなり、そのことで大事な人間関係を失うこともある。 子どもには、生活体験を通して、実感の伴った人付き合いをするほうが、大事なのではないだろうか。 部屋に籠もってのインターネット、こんなものは、まだ持たすなと言いたい。
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