沢の螢

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風は薫らずとも
2004年05月17日(月)

5月というのは、日本では一番良い季節の筈。
緑の色が深みを増し、やさしい風が頬を撫でる。
暖房も冷房も、ほとんど遣わずに済む貴重な時期。
それなのに、今の時期は、一体どうしたことだろう。
風薫る、と言う言葉にふさわしい日は、あまり体感することなく、5月も半ばを過ぎてしまった。
このまま梅雨を迎えるのだろうか。
参加しているWEB句会で、今月の季題を出して欲しいというメールが、主催者から来たので、「薔薇」「走り梅雨(または迎え梅雨)」{蝸牛(ででむし、まいまい)」の三つを出し、そのうちの走り梅雨が採用された。
句会の主宰も、その季題に、感ずるところがあったのかも知れない。

数日前、会合で一緒になった、別の人から、その人のWEB句会に誘われた。
参加者10数人で、WEB句会を、大分前からやっている。
それは知っていて、昨年暮れから投句もしていたが、正式に参加していなかった。
正式というのは、面識のあるその主催者に、「ネット上と言うことで、本名はしばらく名乗りませんが、参加させてください」とメールを出し、「名乗る必要はありません。ネットでのお名前で充分です」と言ってくれたので、そのまま半年経っていた。
投稿の書き方などで、あるいは、私であることは解っていたのではないかと思っていたが、そうでなかったようだ。
話が出たからには、ここで名乗って、挨拶した方がいいと思ったので、「実は・・」と、白状した。
「そう思ったこともあったんですけどね」と、少しビックリしたようだった。
ネットは、実人生とは違う空間で、別の自分を表現できる場である。
自分を語る手段は、そこに表現された言葉のみ。
顔も姿も関係ない。
どんな美人も、同じ土俵に立たねばならない。
刺激的で、面白いが、厳しい世界でもある。
私も、WEB上の連作ボードをいくつか持っている。
趣旨に添った参加の仕方なら、顔見知りであろうと、無かろうと、どうぞお入り下さいと言っている。
ボードで共通の目的を持って、参加している限りに於いては、例え、参加者が、実人生で波長の合わぬ人であっても、構わぬと思っている。
その人が、どこでどんな生活をして、どういう人であるかと言うことは、ほとんど関係ないからである。
しかし、そうした区別の出来ぬ人というのも、存在する。
一時期、あるWEB句会に、参加していたことがあった。
主催者に参加申し込みをし、あくまでWEB上だけの付き合いのつもりで、参加していた。
だが、半年ほど経って、参加不能の状態になってしまった。
主催者が、黙って、URLを別の場所に移してしまったからである。
問い合わせたが、「閉鎖しました」という返事だった。
でも、それがウソであることは、すぐ解った。
私は、その句会に関する限り、礼儀正しく、ルールを守って参加していたが、何か、気に入らぬことがあったのだろう。
実人生で、自分の気に染まぬ人は、ネット上でも付き合いたくないという、タイプの人だったらしい。
私の投句した句をみると、それとは関係ない記憶が蘇ってきて、我慢できないと言うことがあったのかも知れぬ。
だが、それは向こうの思いこみである。詮索しても仕方がない。
個人サイトの管理者は、人を受け入れる自由も、拒否する権利もある。
文句を言う筋合いはないのである。
ただ、私にとって、不快なことには違いない。
私が親しくしている人たちに、広く参加を呼びかけているので、そんな話題も時に耳には入ってくるからだ。
見せびらかして、仲間はずれみたいな、姑息なことをするなあと、ずいぶん傷ついたが、この頃は、もうどうでもよくなった。

そんなことがあるので、今回誘ってくれたひとに、あとからメールを出した。
今まで黙っていて悪かったこと、これからは、あらためて、宜しくお願いしますと書いた。
すると返信が来て、こんな事が書いてあった。
「WEB句会にいるあなたが主人公であり、本体にはそれほど興味はないのです。
仮面であってもなんであっても、その人らしい気持ちと表現であるなら、どのようでもよいと私は思っております。
自分というものだって、何だか幻のようなものではあります。大事なのは、その場所にいるその人の思いだけです。
その人が、実際にどんな人かと言うことは、興味がありません。
句会に対する熱い気持ちがあれば、それがすべてです」。
そして、あまり思惑を持たず、自由な気持ちでお付き合い下さい、あなたが誰と言うことは、私から言うことはありませんからと結んであった。
その言葉に私は感動してしまった。
こういう感性の持ち主なら、多分、相通じるものがある。
正体のわからぬ忍者でいる楽しみは失われたが、これからも、月一回のWEB句会を愉しみたい。



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