某大学の社会人向けの講座に行く。 前から勉強したいと思っていた「神学」を、今年から取り組むことにした。 この大学では、三年周期で、週三回夜、神学講座を開講している。 宗教科の教員免許状を取りたい人、単位聴講を目的とする人が主だが、受講のみの人も受け入れている。 私は、その部類である。 神学に関する一通りの科目を学ぶには、週三回二科目ずつを取って、三年掛かる。 夏だけの集中講座もあるが、それは、五年掛かる。 私は、週三回などと言うことはとても無理だし、お金もかかるので、まず週一回一科目で、始めることにした。 今日が初回の授業である。テーマは「パウロの書簡」。 文語体の聖書は持っているが、現在どこでも「新共同訳聖書」を使うので、早めに家を出て、大学の購買部で、それを買った。 受講者は、カトリックのシスターらしき、ベールを被った女性も何人かいたが、ほとんどは、年齢の幅広い社会人である。 夫が受講している「モーゼの五書」という科目は、70人くらいいたそうだが、今日の授業も、そのくらいいたかもしれない。 ずっと続けて通っている人が多いと見えて、慣れた様子であった。 授業は、聖書を頻繁に参照しながら、まず、イエス以前の宗教的風土と歴史について語った。 「皆さんは、当然聖書は通読していらっしゃるでしょうが・・」と言う言葉に、ひやりとする。 私は、聖書は、今までに、断片的に拾い読みしたことはあっても、通読などしたことはないからだ。 仏教の家に生まれ、キリスト教とは、縁無く過ごしてきた。 ただ、西洋の文学や音楽を通じて、それに関連したところを、必要に応じて囓ったくらいの知識である。 あとは、曾野綾子のエッセイが好きなので、もし、今回、どうして神学講座など受ける気になったかと訊かれたら、一番大きな動機としては、曾野文学があるかも知れない。 この人の書いたもの、ことにエッセイや聖書に関する本は、案外と読んでいる。 それに、なんと言っても、合唱曲の大曲は宗教曲であるし、今年は、モーツァルトのミサ曲演奏に参加する。 ラテン語の歌詞、それは祈りの言葉であるが、宗教的背景と、深い意味があるに違いないので、それを知りたいというのも、次の動機である。 1時間半の授業は、ノートを取るのが忙しいくらい、中身の濃いものであった。
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