沢の螢

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鋭角
2004年02月15日(日)

あるところで、「この頃は、人付き合いが鋭角になっている」と言った人がいた。
許し、許されることがしにくいとも。
私自身についても、同じことを思う。
人には、寛容になりたいと思いつつ、尖っている自分を発見することがある。
「人を赦さなくちゃあ・・」と言われて、「殴られた相手に向かって、もう一度頬を差し出せと言うの?」と言い返した。
相手は黙ってしまった。
「そんな抽象的な言い方しないで。私が誰に対して、何を赦せと言うの」とたたみかけると、その人は、もうそれ以上何も言わなかった。
私には、彼の言いたかったことが、わかっていた。
私に対して、大変理不尽な仕打ちをした人たちを、私はいつまでも赦せずにいるのだが、そのことだろうと思った。
当事者でない人たちから、そんなことを言われる理由はないのだが、敢えて私にそれを言ったのは、決して悪意でないことはわかる。
相手方に立っての発言だとしても、誰が、人から恨まれかねないことを、わざわざ言うだろう。
いつも一緒に喋ったり、呑んだりしている仲間だからこそ、言ってくれたのだと考えることは出来る。
しかし、一方で、私がそれについて何も言っていないのに、どうして、そんな一方的な聞きかじりで、判断するのだろうと、疑問もわく。
私に意見したいのなら、少なくとも、両方の言うことを訊いてからいうべきではないか。
私が水に流して、相手を赦せば済むと言うことではない。
それで、向こうは心が平安になると言うのだろうか。
人に傷を負わせておいて、赦せもないものだと、思い返すと腹が立つ。
問題の人たちとは、なるべく顔を合わせないようにしているが、同じ集団に属していれば、ニアミスというのは、ちょくちょくある。
私のほうは、ことが起こった時点で、きちんと解決したかったのに、向こうはそれに答えなかった。
問題から逃げることを優先し、老獪に処理しようとしたために、いつまでも尾を引くのである。
私のほうが遠慮する理由はないからと、どこにでも出かけていくので、向こうにとっては、疫病神のような存在かも知れない。
そのことがあってから半年ほど、私は時に悔し涙に暮れ、ホームページも一度は閉じてしまうほど、傷ついていた。
1年経つころには、自分で別の世界を切り開き、少し立ち直った。
しかし、そうした気持ちに、追い打ちを掛けるような相手方の仕打ちがあって、また、私は、不快な気持ちとたたかわねばならなかった。
残り火を掻き立てるようなことを、何故するのかと、理解に苦しんだ。
それから更に半年が経つ。
いまは、忘れることまでは出来ないにしても、無関心でいることは出来る。
少数ではあるが、私を理解して、それとなく思いやりを示してくれる人たちが居る。
ひとりではないと言うことで、何とか切り抜けてきたのである。

昨日の句会は、愉しかった。
「あたたか」「茶碗」「追う、逃げる」という季題とキイワードで、ひとり3句ずつ投句、選句発表では、ユーモアを交えたバトルもあって、なかなか弾んだ。
終わって、また飲み屋に11人が繰り出し、2時間程ダベって散会。
数日間のもやもやした気分も晴れた。

きょうも1日暖かい日。
平穏に過ぎた。
夜になり、風が強くなった。



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