沢の螢

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冬景色
2003年11月06日(木)

今の季節は秋と冬の境目、天気が良ければTシャツ一枚でもいいが、朝晩は、寒さを感じるときもある。
今日は、少し生暖かいようだ。
俳句の講座に行く。
今日は、教室になっている都内の大学近くを吟行して、俳句5句を作るという課題である。
今の時期、5時になるともう暗い。
大学近辺には桜並木があり、土手に上れば電車の線路が見下ろせる。
少し早めに家を出た。
夕方から出かけるときは、困るのが食事で、外で一人で食べるのも、あまり好きではないので、家を出るとき、軽く何かつまんで行く。
講座が終わるといつも、一緒に行っている友人と、コーヒーくらいは飲むが、帰りの時間も気になるので、あまりゆっくりもできない。
今日は、朝、昼の食事時間がずれたので、牛乳を温め、バナナを一本食べて家を出た。
駅に着き、そこで、浮かんだ句を2句。

追い越せる片減り靴や冬の駅
冬駅や携帯音のあちこちに

歩道を渡るところで一句。

四つの谷在りし町とや冬木立

学校に行く途中の桜並木は、今はもちろん花はなく、枯れ木だが、土手が続いているので階段を上る。
人気がなく、もう暗いのでちょっと怖い。
ところが、人気がないのではなく、いくつかのベンチには、カップルが座っていて、蠢いているのだった。
これでは、覗きになってしまうではないか。
しかも、一人で歩いてくる男がいる。
慌てて下に降りた。
そこで一句。

カップルのほか誰も居ず冬の土手

気持ちを取り直して、空を見ると学校の尖った屋根に十字架が見える。
そこで一句。

尖塔の影浮かび来る冬の月

凡句ばかりだが、五句出来たのでそのまま校内に入り、図書館に入る。
原稿用紙に清書し、短冊にそのうちの三句をしたためて、教室に向かった。
私は、連句はやるが俳句は全く初心者である。
先生のところに集まった俳句を、皆で選句するが、私の句は、一人か二人選ぶくらいがやっとである。
前回は、二句を選んでくれた人があったが、今回は片べり靴を採ってくれた人だけ。
あとで気が付いたが、「冬の」という季語だけしか使わなかったのは、いかにも芸がなかった。
厳密にはまだ秋なので、秋の季語でも良かったし、冬の季語なら、日短か 暮れ早し 息白し 帰り花 など、幾らでもあったのに・・。
先生の評は、月の句に○が付いていた。
友人と帰りながら、「私たちはきっと連句的発想で作るから、俳句の人たちとは、ちょっと発想が違うのかしらね」と話した。
連句の発句は、あとに付けると言うことを考えて作るが、俳句は、一句でぴたりと完結しなければならない。
それに、あまり主観が入ってはいけないらしく、ほかの人の句は、皆、スケッチである。
俳句はもともと俳諧、今で言う連句の発句が独立して出来たのだが、一句で言い切ると言うことが、人に受けて広がりを見せたのであろう。
その点で言うと、連句は伝統的な式目があり、共同作品だから、ある意味で難しい。
でも、一旦この魅力にとりつかれると、やめられなくなる。
いまの私の精神生活は、これが中心である。
でも、人に勧めようと思わない。
自分が愉しければいいのである。
連句を広め、結社を発展させようとする人たちの気持ちも、わからないではないが、私自身は、それとは離れたところにいたいと思う。
自分の感性を大事にし、句の質を高め、その中で自由に遊ぶ。
受け入れてくれる人たちと良い付き合いをしたい。
所詮人間がやっていること、愉しいことばかりでないこともある。
この一年、つらいこともあった。
しかし、それも乗り越えた。
人に媚びず、自分を保って、精神の貴族を目指したい。
今はしみじみそう思っている。



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