沢の螢

akiko【MAIL

My追加

生きた歴史
2003年11月05日(水)

この1年ばかり、多摩川を越えて神奈川県に入ったところで、月に一度、連句の座に参加している。
私を入れて6人くらいの小さなグループ。
メンバーは、60代後半から70代半ばまでの男の人3人に、50代終わりから60代前半の女性3人。
男性メンバーと女性メンバーとの間に、平均10年ほどの差があることになるが、これは結構いい組み合わせである。
リーダー格は、地域で俳句を教えている男の人。
私以外は、みなそこの教室の生徒だから、彼を「先生」と呼ぶ。
私は連句の習慣で、彼も含めてみんなをファーストネームで呼んでいる。
私が行く前は、私と同じ結社の人が連句を教えに行っていたらしい。
何かの都合で行けなくなり、私に代わりに来て欲しいと話があった。
たまたま、そこの「先生」が、私のインターネット連句に参加していたので、ネットが取り持つ縁である。
「教えるなんてことは出来ませんし、そんな柄じゃありませんから、皆さんと一緒に愉しむということで参加させてください」といい、それから行き始めて、この9月で1年過ぎたところである。
「先生」は、連句もかなりできるのだが、「私は俳句がメインですから」と言って、連句に関しては、一応私を立ててくれている。
午後から4時間足らずで一巻仕上げなければならないので、あまり長い物は出来ないが、前に来ていた人が、懇切丁寧に教えていたらしく、その成果が出て、皆、上手になっている。
お陰で私は、いつも愉しませて貰っている。
連句が終わると、近くの喫茶店などに寄って、お茶など飲みながら、雑談を愉しみ、散会する。
このときに聞く、男の人たちの話が実に面白い。
一人は、戦争に行ったことのある人、「毎日何千人という人が、バタバタ死んでいくんだから・・・」と、実際の体験談を聞かせてくれる。
もうひとりは、戦後、アメリカの駐留軍の施設で働いたことがあって、その時の、ヤクザまがいの体験や、危ない眼にあった話が出てきて、まるで映画を見ているようで面白い。
どちらも、映画やマスコミの世界で長く仕事をしてきた。
残る一人は、終戦当時思春期、それまでの軍国少年としての教育が、急に変わって混乱した経験を持つ。
それに引き替え、女性のうち一番年かさの私が、やっとかすかに戦争の記憶が残っている程度、ほかのふたりは、物心付いてからは平和の中で成長してきている。
その落差は大きいが、その人達が、同じ場所で、文芸の遊びをしながら、それを通じて、お互いの経験を追体験し、知識を深めていくことが、非常に尊いことだと、最近思うようになった。
若い人が物を知らないのは当然である。
経験がないのだから。
あと20年もすれば、もう戦争を知らない人たちが、日本の人口のほとんどを占めることになる。
些細なことでもいい。
戦争の体験を持つ人は、いろいろな機会に、それを、伝えるべきである。
想像力の欠如は怖いことなのだから。
最近、つくづくそういう感を深くしている。



BACK   NEXT
目次ページ