沢の螢

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君ありて窓昏し
2003年11月01日(土)

学生時代の混声合唱団で、ひそかに慕う人がいた。
年は2年上だったが、彼は浪人しているので、同学年だった。
鶴のように痩せて、背の高い彼は、高いテノールの美声を持ち、私は、まずその声に心を惹かれた。
私はアルトなので、彼の声の傍で歌うと、よくハモるような気がして、好きだった。
鉄分が足りない体質らしく、よく貧血を起こし、時々学校も休むらしかった。
私は、彼と団の楽譜係をしていたが、半年の任期中、一緒に仕事をしたことは、ほとんどなかった。
当時は、今のようなコピーマシンはない。
楽譜は原紙に鉄筆で切り、謄写版で刷るのである。
すべて手作業だった。
彼が、貧血を起こすと、私は、誰かを代わりに頼んで、部室で謄写印刷をするのである。
時には、たった一人で、謄写版のインクと格闘せねばならなかった。
体の弱い彼を、恨めしく思ったものである。
しかし、3年生になる頃から、彼は、見違えるほどたくましくなり、時にラジカルな理論をふっかけて、みんなを煙に巻いたりした。
夏の合宿の帰りに、彼を含む数人のグループで、キャンプに行ったことも懐かしい。
やはり彼を含む混声6人で、中世のマドリガルを一時夢中になって歌ったこともあった。
彼は学生運動にも熱心で、デモなどにもよく行っていたようである。
私はノンポリだったので、政治的なことには疎く、関心もなかったが、60年安保で樺美智子さんが死んだときには、さすがに黙っていられなくなり、教育実習中の現場から、国会へのデモに参加した。
それを知った彼から、葉書が来た。
無関心な態度をやめたことはいいことだと書かれ、最後に「くわしいことは、いつか一緒になれたときに話しましょう」と結んであった。
それに、私は返事をすることが出来なかった。
すでに、別の人と将来を約束していたからである。
卒業して2年後、私は約束していた人と結婚、その半年後に、彼は私の友人と結婚した。
共にマドリガルを歌っていた仲間だった。
互いに別の人生を歩むことになったが、彼は、いつもわたしの心のどこかに存在していて、いつも気になる人だった。
同窓会で年に一度会うくらいだが、私は彼の傍で、その声に合わせて歌うのが、今でも好きである。

その彼が、今、快復できるかどうかわからない状態で、病院のベッドにいる。
その妻である私の友人からのメールで知った。
突然倒れ、救急救命センターで10週間、一般病棟に移って5週間になると言う。
友人は、心の強い人である。
繊細で、どこか不安定な夫を庇って、これまで過ごしてきた。
余程のことでも、人に頼らず、切り抜ける精神力がある。
しかし、今回は、さすがに、こたえているようだ。
でも、今まで誰にも言わず耐えてきた。
「何かお役に立つことがあるかしら」とメールを送ると、「ありがとう」と涙に暮れたらしい調子の返事があった。
そっとしておいて、と言う彼女に、私は何もしてあげられない。
それ以上に、意識があるのかどうかわからない状態で、病床にある人に、何も出来ないでいる。
「いつかきっと、また一緒に歌える日が来ることを信じて、快復を祈ってます」と返事を書きながら、わたしの心も涙でいっぱいになった。



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