沢の螢

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金木犀
2003年10月09日(木)

今週に入り、急に寒くなり、ちょっと油断をして軽い風邪を引いてしまった。
夫が、4,5日留守をして、おととい帰ってきたが、「オレのいない間、ろくなものを食べなかったんだろう。栄養失調じゃないか」という。
確かに、主がいないと、自分の食生活は、いい加減になる。
誰かが作ってくれれば食べるが、わざわざそのために、買い物に行ったり、時間と手間を掛けるのは、はっきり言って面倒くさい。
ふと気が付くと、昼抜きになっていたりする。
出かける用事があれば、外でついでにと言うことになるが、たまたま、外出の予定もなかった。
朝は、夫がいれば、必ず和食だし、みそ汁も、納豆も食べる。
夫は三食欠かさないので、昼は、パンか麺、単品と言うことはなく、野菜炒めを作ったり、オムレツを焼いたりする。
しかし、自分一人の場合、朝と昼を一緒にしたブランチ、それも、パンに紅茶、ゆで卵がせいぜい、サラダを作ったり、炒め物をするのは、面倒である。
時々、芯からイヤだなあと思いながら、食事作りをするのは、自分のほかに食べる人がいるからかも知れない。
夫に先立たれたら、私はきっと、すぐに栄養失調になって、死んでしまう。
何日も、泣き暮らして、痩せていき、そのうち、気力もなくなって、誰も知らないうちに、あの世に旅立ってしまう。
こんな事を言ったら、連句の悪友どもが、「いやあ、そんなことないと思いますよ。すぐに、ニコニコして、ひと月も経たないうちに復帰して、後顧の憂いがなくなったとばかり、ますます意気軒昂になるんじゃないですか」なんて言う。
イマニミテロ。
息子が、ウチに来ると、「お父さん、長生きしてよ」とは言うが、私には、そういわないのは、私のほうが残されると、かなり厄介だと思っているからに違いない。

金木犀の花がそろそろ落ち始めた。
香りが年々薄くなってるのは、木が弱ってきたからか。あるいは、環境の変化か。
昨日は、夫の母の命日だった。
24年前の10月8日、亡くなった。
脳出血で倒れ、救急車で運んで、まもなく意識不明になり、1週間後の死だった。
二人の息子と、その連れ合いに見守られながらの静かな最後だった。
ちょうど、金木犀が、見事な香りを漂わせていた時期で、母の入院していた間に、雨が続き、花は次々と散っていった。
母が倒れる前の晩、私が覚えているのは、台所で何かをしていた母が、「さあ、もう寝ましょう」と言って、エプロンを外し、「おやすみなさい」と私に声を掛けて、自室に入っていった姿である。
「おやすみなさい」と私も、答えて、母の背中を見送ったが、それが、元気な母との最後の会話となった。
70歳になったばかりであった。
50歳そこそこで、夫に先立たれ、大学を卒業したばかりの長男、まだ高校生だった次男と3人になった。
それから、二人の息子が、家庭を持ち、孫にも恵まれ、これから穏やかな老後を愉しみたいと思っていたはずである。
私たちが南米で暮らしていた頃、たった一人で、太平洋を横断して、母はやってきた。
寒い日本の冬を避けて、1,2ヶ月の予定であったが、結局半年そこで暮らした。
いろいろな思い出がある。
いつか母の事も書きたい。



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