昨年、私の誕生日に、息子夫婦が、花瓶に入った真っ赤な薔薇を贈ってくれた。 それは、本物の薔薇の花を、特殊な加工をして、そのままの色と形を保ったまま、薄い灰緑の花瓶に活けたものだった。 「これは造花じゃないんですけど、水をやらなくていいんです」と息子の妻が言い、食堂とキッチンの境にある棚の上に、飾ってくれた。 そこは花瓶の置く場所で、時々花を生けたり、花の代わりに、果物の鉢を置いたりしていた。 人が歩くそばではあるが、そこに花があることで、キッチンの目隠しにもなり、対面式の流し台の奥から、居間と食堂が、花瓶越しに見えて、いい雰囲気を醸していた。 それが、今日、花瓶ごと床に転がってしまったのである。 花瓶のそばには、果物鉢があり、夫は買ってきた林檎をそこに入れようとして、花瓶に腕が触れてしまったのだった。 水の入っていない花瓶はガラスや瀬戸物ではなく、軽い樹脂のようなもので出来ていて、簡単にひっくり返ってしまったのだった。 その時の夫の一声が「こんなとこに置くほうが悪い」だった。 私は、床に転がった花瓶を起こし、バラバラに崩れた花を拾いながら「そんな言い方はないでしょう」と言った。 今まで、10数年、花瓶の置く場所だったところである。 「そこに花があると、君の顔がほどほどに見えて、丁度いい」なんて、冗談を言ったのは夫である。 場所が悪ければ、前からそう言って、置き場所を変えればいい。 それに、過ちだとしても、そんな言い方はないだろう。 「あ、悪かったなあ」と言えば、こちらも「こんなところに置かなければ良かったね」と言える。 最初に夫が、自分の過ちを、人のせいにしたことで、私は、口をきく気がしなくなった。 他人ならこんなことはない。 すぐに謝るし、相手も、咎めるよりは、むしろ、慰める対応をするだろう。 それで、お互い、傷つかずに済む。 なまじ夫婦だから、そんなことになるのである。 しかし、夫はその直後に、卵を二つとり落としてしまった。 もともと不器用な人なのである。 にわか主夫になって、ひと月、買い物も、洗濯もしてくれて、私の足を庇ってくれているが、大分疲れが出ているのだろう。 花瓶を落としたことで、自分もショックを受けているのである。 そして、思わずいってしまった一言が、私を傷つけたことも、わかっている。 そんな気持ちの動揺が、卵なのだった。 何か言ってあげればいいのだが、私は、黙っていた。 そんな気になれなかった。 崩れた薔薇は、わたしの心のような気がしていた。 「この卵、どうしよう」というので、「何かに入れておけば、オムレツにでもするから」と、そっけなく答えた。 ケンカの時、私は言うべきことは言ったあとはダンマリを決め込む。 何日でもそれで通せる。 夫のほうは、黙っていることに耐えられない。 ケンカの原因とは関係ないことを、あれこれ話しかける。 それに対し、私は最小限の返事はするが、決してこちらからは話しかけない。 若いときは、もっと、ホットなケンカをした。 さすがにつかみ合いには至らないが、激しく言い合った。 その間にあって息子は、どちらにも付くことが出来ず、子どもの時は、それなりに苦労したようである。 だんだん歳をとり、二人とも、ホットなケンカをする情熱がなくなり、気まずくなると、自室に入って、それぞれの世界に閉じこもる。 今や、家庭の平和は、スペースの問題である。 なるべく顔を合わせないように、空間があることが必要条件である。 夫は、卵を片づけると、午後からの外出の支度をするべく、2階に上がっていった。 私は、無惨に崩れた深紅の薔薇の花びらを、一枚一枚テーブルに広げ、少し涙をこぼした。
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