沢の螢

akiko【MAIL

My追加

野分
2003年09月22日(月)

ここ数日、地震が起こったり台風が来たり、それと共に、気温も下がってきた。
昨日あたりは、かなりの雨でもあった。

ひと月も、逼塞していると、自分の所属している集団の動きさえ、わからなくなってくる。
何かが起こっているらしいのだが、自分で直接見聞きするところにいないので、今は関心の持ちようがない。
でも、現実の場にいる人たちは、まさに渦中に身を置いているので、その中で、それぞれ、考えたり、動いたりしているわけだが、外から見ると、所詮コップの嵐にしか見えない。
だから、当事者達と、外から眺めている人との間に、温度差が出て来るのは、仕方がないことである。
電話やメールで、断片的に耳にし、今起こっていることについて、意見をきかれても、判断の材料がないのである。
「何も言うことはありません」としか言えない。
すると、「そう言う態度は良くない。みんなの問題として、一緒に考えるべきだ」とのメールが来た。
ひと月家に閉じこもっている人間に、何を基準に考えろと言うのか。
わたしが責任を持って言えるのは、自分の身に起こったことだけである。
直接話をきいてもいない人たちのことは、それこそ、事実関係を正確に知らなければ、軽々しく意見は言えないことであろう。
そのように返事し、「こういうことは、メールでなく、ちゃんと顔を見ながら話しましょう」と結んだ。

メールでは、苦い思いをしている。
私が、ある場所から去る羽目になったのも、もとはと言えば、舌足らずなメールから始まったことだった。
長いこと、休んでいる人たちがいたので、「何かあるのでしょうか」と気遣うメールを、リーダー格の人に送ったことから、自分がやめる話にまで発展してしまったのだから、皮肉なことである。
誰が休んでいようが、知らん顔していれば良かったのである。
「誰も、人のことなんか気にしてませんよ。ほっとけば良かったんですよ」と、わたしがやめたあとで、ほかの人から言われた。
わざわざ電話で言うことではないが、メールなら手軽に訊けると言うことがあり、訊いてみる気になったのである。
そんなことは、その当事者達は知らない。
やめたきっかけは、別の話ではあったが、それまでの経緯には、メールがなければ、なくて済んだだろうと思える、マイナス情報が働いている。
顔を見て話したことは一度もないのに、メールは、その相手を、自分に近い存在と思わせるまやかしを含んでいる。
よく考えると、人間関係と言えるような繋がりさえ、本当はないかもしれないのに、あるかのごとき錯覚をするのである。
そして、ないはずの関係が壊れ、それで現実の人間が傷を受けている。
考えてみると、バカな話である。

きのう、「あなたを友達だと思っているから」とメールをくれた人に、「私も同じです。だから大事な人とは、メールで遣り取りしたくないのです。近いうちに、直に話したいですね」と返信した。
「実は私も、誰ひとり援軍のない中で、たった独りの戦いをしています。でも、その代わり、人に借りを作らなくて済むから、気楽です。
スターリン時代のソビエトじゃあるまいし、理不尽な『粛清』には、戦わなくちゃなりませんから」と、付け加えた。
多分、向こうは、私の言わんとすることは、わかってくれたと思う。

どうやら台風は過ぎたようである。
午後から爽やかな風に変わった。



BACK   NEXT
目次ページ