シャンソン歌手の友人から電話。 「もう足はいいんでしょ」と訊く。 「おかげさまで、昨日やっとギブスが取れたわ。でも、あと2週間位は、大事にした方がいいみたい」というと、それならあとは時間の問題ね、と安心して話を始める。 彼女と話すと長くなるので、椅子にかけ直し、楽な姿勢に変える。 ずっと付いていた男の先生のグループから抜け、今は、もうひとりの女の先生のところで、代稽古を務めているという。 結構忙しいのよと、まんざらでもないようだった。 彼女は、男の先生のグループで、先生の片腕同然の位置にあって、グループのために尽くしてきたが、最近になって、あとから入ってきた少し若い女性に、お株を奪われて、自分からやめたのである。 その話は、何度か電話で聞かされて、「そんな先生、縁を切っちゃったら」と、私は無責任なアドバイスをしたのだった。 今までの縁を大事にするより、新しく登場した方に目がいくという人は、あまり信用できない。 その彼女だって、そのうち、また新しく入ってきた人に、席を奪われるに決まってるわよ、と私は言ったのであった。 逡巡した挙げ句、その先生のもとを去り、新しい道を開いていくという彼女に、声援を送った。 今日の話はその後日談である。 行動に移すまでは、充分考えるが、一旦決めて、実行したあとは、もう後ろを振り返らないと言うのが、彼女の潔いところである。 女の先生のところで、新しい仕事も順調にいき、11月のリサイタルにも出演させてもらうことになって、レッスンに励んでいるところに、突然、件の男先生から電話があった。 話をしたいという。 今さら私に何の用かと思いながら、出かけていくと、あなたにやめられたのは、残念だった、惜しい人を失ったと、その先生は言い、 「そこからが腹の立つ話なの」と彼女が怒って話してくれたのは、次のようなことだった。 あなたがいなくなって、戦力が落ちた、出来れば戻って欲しい、でも、ちょっとわけがあって、すぐというわけに行かないと言う。 「どんなわけですか」と訊くと少し言いにくそうに打ち明けたのは、彼女のいなくなったあと、得意になってあとを引き受けていた若い方の彼女が、今は、自分が一番だと思っているので、そこに、戻ってもらうわけに行かない、だから、グループとは別のところで、自分を支えて欲しいと言ったというのである。 つまり、その先生は、彼女の実力を認めていて、いなくなったことを惜しんでいる。 しかし、新しい彼女のほうも、大事なので、二人が鉢合わせしないような場で、両方をうまくコントロールしようと言うのである。 「失礼な話ね」と私は言った。 こんなことは男のエゴである。 虫が良すぎる。 「あなた、なんて言ったの」と訊くと、そこからが、私よりは、利口な彼女である。 「ピシャリと拒否するのは簡単だけど、これで、向こうの弱点がわかった。だから上を行ってやろうと思ったの」という。 それは、結構なお話ですわと、婉然と笑い、ごちそうさまと言って、そのまま帰ってきてしまった。 「イエスともノーとも言わなかったから、向こうは、判断のしようがないわ。いろいろ恩義のある先生だけど、誠実でない人は、キライだから」と彼女は言い、「それに応じる気はないし、もう過ぎた話だわ」と笑った。 私だったら、きっとストレートにケンカしてしまう。 その結果、もう後戻りできないところまで行ってしまう。 相手に借りを作らせ、悪い印象を残さずに、結末を付ける、彼女のようなやり方が、女の知恵かも知れないと、つくづく思った。 「でもね、本当は、私、傷ついてるの。やせ我慢なのよ」といった言葉が、心に残った。
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