沢の螢

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詩的空間
2003年08月31日(日)

昨夜、面白いテレビを見た。
「詩のボクシング」と名付けられた催しの、中継録画である。
リング上で、互いに自作の詩を朗読し、トーナメントで勝ち進んでいくもの。
7人の審判員がいて、その場で判定する。
16歳の高校生から、68歳の男性まで、それぞれ地区別の大会で勝ち残った人が、決勝大会に臨んだものだった。
朗読に、ラップのようなリズムを刻んで、パフォーマンスの効果をねらった人、正攻法で淡々と、詩を読み上げた人、お国言葉をそのまま取り入れて、喋り言葉で訴えた人、詩の内容も、朗読の仕方もひとさまざまで、なかなか興味深かった。
はじめは、パフォーマンス豊かな人が、勝ち進むかのように思われた。
しかし、選者は、割合冷静である。
見かけにとらわれず、詩の中身をよく読みとっていたようであった。
最後に残ったのは、奈良代表の23歳の女性と、東京代表25歳の男性、若い二人だった。
いずれも、正攻法で、まっすぐに立って、淡々と詩を読み上げていた。
決戦は、自作の詩の朗読と、その場で与えられた課題を、即興で詠み上げるという項目が加わる。
古来の吟遊詩人に還るわけである。
詩はもともと、それが出発だった。
書いたものを、文字だけで、黙って読むというのは、人間の歴史の中では比較的新しい。
女性が与えられた課題は「鞄」、ここで彼女は、それまで被っていた仮面から、地の顔に戻った。
少し、力みすぎたのだろうか。
いろいろなことが一度に浮かんできて、整理が付かなかったようである。
ゴングが鳴って、男性の番になった。
彼が受け取った課題は「先生」、彼は、対戦相手の「鞄」と言う言葉を、うまく導入に使って、短いがまとまった詩にして、読み上げた。
それまでのポーカーフェイスは、最後まで、崩れることはなかった。
自作の詩も、やや頑張りすぎの女性に比べ、一貫して、両親や妹のことを、素朴に歌って、好感が持てた。
軍配は、6対1で25歳の男性に挙がった。
公平な判定だったと思う。
優勝した男性は、グラフィックデザイナー、実家は甲府で寿司屋を営んでいる。
決して抽象的な、難解な言葉を使わず、彼の生活の中で血となり肉となっている言葉を駆使して、感情に流されずに、等身大で訴えていたのが良かった。
出演者の中では、一番地味で、目立たなかった彼の、訥々とした語り口が、次第に心にしみ通って、今度はどんな詩を聴かせてくれるだろうという気にさせられた。
この催しは、今年で3回目だとのこと。
プロの詩人や歌人が、こうしたことをしているのは、前から知っていたが、普通の人たちの間でも、いわゆる「ポエトリー・リーディング」は、盛んになっているらしい。
私の沿線の近くでも、ピアノやシャンソンのライブの間に、「朗読」をプログラムに組んである喫茶店がある。
これは、アマチュアでも、出演出来る。
いつか、自作の詩で、そんなところに出てみたいというのが、私のひそかな夢である。
この前、詩ではないが、連句の集まりの余興で、即興で俳句を作るというトーナメントに参加した。
題が与えられ、3分以内に俳句を作る。
一戦毎に、5人の選者が交代で判定する。
参加者、30人以上はいただろうか。
私も何度か、選者になって、句を選んだ。
もちろん、一回戦からの対戦にも参加した。
どういうわけか、勝ち進んで、決勝まで行ってしまった。
対戦相手は、呑み仲間であり、ネット連句でも私の常連になっている女性。
「ふわり」というのが題であった。
俳句だから季語を入れなければならない。
相手は、すぐに句が浮かんだらしく、さらさらと短冊に書き込んでいる。
私の句は、

色街のふのりふわりと初仕事

というのである。
彼女の句は、勝手に引くわけに行かないが、蝶の飛ぶさまを詠んだものであった。
結果は、彼女に軍配が挙がった。
私は、賞品の白いハンドバッグをもらって、帰った。
骨の折れたことも、気づかなかったのは、その集まりが、面白かったからである。
初戦からの課題と、その時即興で作った句を、今になって思い出せないのは、残念である。



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