沢の螢

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新涼
2003年08月27日(水)

骨の痛みは大分薄れているような気がするが、まだ、床に直接足をつけると痛い。
ギブスと言っても、足の裏と膝の裏側を支えているだけの簡単なもので、これで骨を庇っていることになるのかしらと思うが、必要にして十分な機能は備えているのであろう。

昨日は、息子の妻から電話がかかってきて、骨の具合を尋ねてきた。
彼女は、10年前、結婚直前に足の指を折り、結婚式は予定通りおこなったものの、足を少し引きずりながらの花嫁であった。
細いヒールの靴を履いて出勤途中、バスから降りる際、転けてしまい、全治3週間かかったらしい。
わたしが「医者に1週間と言われたわ」というと、「えっ、そんなに早く治るんですか」とビックリしていた。
わたしの場合は、彼女より、ずっと軽症だったと言うことだろう。
でも、彼女と話しているうちに、息子が腰を痛めて、整形外科に通っていることを知った。
土曜日に電話したとき、そんなことは一言もいわなかった。
「きっと、お母さんに心配掛けたくなかったんですよ」という。
体重が増えすぎて、足に負担がかかり、それが腰痛に繋がったらしい。
「じゃ、私のことどころじゃないわ。そっちを大事にして頂戴」と言って、電話を切った。
夜遅く、今度は息子から電話がかかってきた。
「骨のほうはどう?」と訊いている。
「もう痛みもないから、あとは時間の問題よ。そんなことより、整形外科に通っているって言うじゃないの。いまからそんな事じゃ大変よ。よく養生しなさい」というと、息子は、話を逸らせてしまい、「骨を折ったり、捻挫したときはねえ・・・」と、むかし陸上競技生活をしていたときの経験談を話してくれた。
息子というのは、普段何もないときは、音沙汰なく済ませているが、いざというときは、やはり真っ先に心配してくれる。
優しいのだなあと思う。
もう17年も前のことだが、私が3ヶ月ほど入院したことがあった。
連れ合いは、一番仕事の忙しいときで、息子は浪人中だった。
受験勉強をしながら、時々母親を見舞い、留守中の家のことまで、さぞや大変だったに違いないが、息子は、私に一度もグチめいたことを言ったことがなかった。
真夏から秋にかけての時期だった。
ゴミの処理が適切でなくて、ウジがわいてしまったり、ちょうど町会の当番に当たっていて、心ない人から、回覧板の回し方が悪いと、文句を言われたこともあったらしい。
「最近、少し料理がうまくなったよ」と、枕もとで話してくれたことがあった。
「何を作ってるの」と聞くと、「とにかく何でもマーガリンで炒めちゃうんだよ」と笑っていた。
「お父さんが早く帰ったときは、御飯を作るのはお父さん、僕が後片づけ」と言った。
「勉強のこともあるのに、大変ね」というと、「イヤ、大丈夫だよ。それより早く元気になってよ」と言って、息子は帰っていくのである。
一度、しばらく姿を見せないので、心配していたら、秋口で寝冷えをしたらしく、熱を出していたという。
私は、病室から電話を掛け、「冷房掛けすぎないで」と言った。
そんなことがいくつかあり、父子の共同生活も、限界に思えたので、近所に住む友人に訳を話して、週に2度、洗濯や掃除を手伝ってもらうことにした。
ただ好意に甘えるのはイヤなので、1日幾らと金額を決め、それで引き受けてもらった。
彼女は、私が退院するまで、留守中の男二人の、洗濯掃除、そのほかのこまかなことまで、面倒を見てくれた。
病気と入院、これは私にとって、やはり人生の大きな転機となった。
医療に関しての疑問、入院生活で感じたことも沢山ある。
入院中、大学ノート3冊の記録が出来た。
いつか、まとめて書きたいと思っている。

今日は涼しい1日だった。



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