沢の螢

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口とアタマ
2003年08月26日(火)

簡易車椅子生活四日目。
人間というのは面白いもので、体のどこかが支障を来すと、ほかの機能が、それをカバーするために、働くらしい。
視覚障害のある人は、その分聴覚がすぐれていると聞くし、数学は出来なくても、絵がうまいとか、ほかの人にないすぐれた点があったりする。
俗に美人は心根が悪いというのも、この逆を行く理屈であろう。
すべてを兼ね揃えた人もいるかも知れないが、そんな人はむしろ、個性がなくて、魅力に欠けるのではないか。
そんな気がする。
いま私は、一時的車椅子生活者であるが、ただ黙って座っているのもつまらないので、家中をキャスターの音をごろごろさせながら移動し、そのお陰で、いままで気の付かなかったことを発見したり、面白いこともある。
私の場合、足をカバーするのは、アタマ(頭脳という意味ではない)と口である。
夕べ、連れ合いは会合があると言って出かけた。
「ひとりで大丈夫かい」と言いながらも、内心、久しぶりにひとりで出かけるのが、愉しいようであった。
私は座敷で横になっていたが、日が暮れてきたので雨戸を閉めようと思った。
しかし畳の部屋には、椅子が使えないので、這って、雨戸の処まで言ったが、スチール製の雨戸は重くて、とても動かせない。
そこで考えた。
無理をして閉めても、帰ってきた連れ合いは、私がどんなに苦労して雨戸を閉めたか、きっとわからないだろう。
いつものように、自然に動いている家庭内の現象で終わってしまう。
このままにしておこう。
内側の戸は閉まっているから、それで泥棒が入ることもあるまい。
夜遅く帰ってきた連れ合いが、雨戸が閉まっていないことに気が付けば「あ、そうか」と思って閉めるだろうし、気が付かなくても、夜が明けば、「夕べ閉め忘れたんだな」とわかる。
いまの私の状態では、出来なかったことに気づくだろう。
私が元気であれば空気のようにしか感じないことも、雨戸というのは、空気が開けたり閉めたりするのではないことがわかる。
今朝早朝、私の寝ている間に、連れ合いはゴルフに出かけていった。
起きたとき、まだ暗かったはずだが、一階に下りたとき、座敷の雨戸が開いたままだったのに、気づいたかどうか。
でも、食卓には、私の御飯茶碗とお椀、箸が置いてあり、台所には、みそ汁が作ってあった。
お椀には、庭で取ったミョウガが、刻んで入っているのが嬉しかった。
私は、みそ汁を温め、お椀に注いで、食事をした。
ギブスをしているので、少しの間なら立ち上がることも出来る。
ギブスを外し、シャワーを浴びることにした。
浴室には、老父がお風呂にはいるとき使っていた介護用の椅子を入れ、それに腰掛けて、シャワーを使った。
椅子で移動したり、階段を這って上がったりすると、床の汚れが目に付く。
少しさっぱりさせようと、掃除用ペーパータオルを棒に挟んで、床を掃除した。
キャスター椅子を動かしながらいなので、簡単である。
この方法は楽だな、今度から足が治っても、これでやろうと思った。
このことは、連れ合いには黙っていることにする。
口のほうは、元気な時もだが、足が故障してますます冴えてきた。
普段から連れ合いは、私のくだらないお喋りには、よく付き合ってくれる方だが、一緒にいる時間が増えると、話も多くなり、少しゲンナリしているらしい。
「君はやっぱり、ほどほどに出かけてたほうがいいね」などと言っている。
夜遅く、私が呑んで帰ってきても、文句を言わないのは、自分の代わりに、話し相手になってくれている人があると思うからであろう。
私が、何でも連れあいに話すのは、私が先に逝くようなことがあったとき、知らずに「天敵」から香典などもらって欲しくないからである。
私の遺影の前で、天敵がシラッとお線香など上げるさまを想像しただけで、死ぬに死ねなくなるではないか。
どうか安らかに成仏させて欲しい。
「この人とこの人は、天敵だからね」と教えてある。

外出できない分、暇になったので、ボード連句を再開することにした。



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