昨日、足の痛みで、1日ごろごろしていた。 「整形外科に行こうか」と連れ合いに言われたのに、まさか骨が折れたりしているわけではあるまいと高をくくって、湿布を宛てていたが、痛みは治まらず、少し腫れてもいるようだ。 今朝になって、連れ合いが医療センターに電話し、救急の整形外科を教えてもらった。 「入院になるかも知れないね」と言われ、シャワーを浴びたり、御飯を食べたりしているうちに、痛みは薄らいでしまい、「救急の時はろくな医者がいないから明日行った方がいいよ」と言うことになり、今日はうちで安静にしていることにした。 いま思うと、一昨日、麻布で転けたとき、すぐに救急車を呼べば良かったのである。 あるいは、帰宅の途中で、駅長室にでも駆け込んで、「もう歩けません」と言えば、119番に電話ぐらいしてくれたかも知れない。 こういう事が出来ず、我慢してしまうのが、私の、見かけに寄らず気の弱いところなのである。 うちにいると、にわか主夫になった連れ合いのいらだちがよくわかる。 普段家の中のことは妻任せにしているので、いざ台所に立っても、何がどこにあるかわからない。 いちいち私に訊かねばならず、時間も手間もかかるので、だんだん眉間にしわが寄ってくる。 挙げ句の果ては口げんかになる。 「君はおとなしく寝てなさい」などと言うが、それが言葉だけである事は、行動でわかる。 いずれは私が後始末することを期待して、そのままにしていることばかりである。 家庭の平和は、私が元気であることが必要条件であることがよくわかる。 自分が病気になった時のことを考えればわかりそうなものなのに、そう言う想像力に欠けたのが、男というものらしい。 イヤ、一般化した言い方は、適切ではないだろう。 15年間、奥さんの介護をして、見送った人を知っているし、現在要介護のお連れ合いを、常に気に掛けつつ、連句の座に来ている人も知っている。 もちろん、人に見せる顔と、うちにいるときの顔が、そのまま同じであるとは限らないので、こういう事には、人にはわからない多少の修羅はつきものかも知れないが・・。 高校時代、陸上競技をやっていた息子に電話すると、「骨折にしろ、捻挫にしろ、なるべく早く処置した方がいいから、明日すぐ医者に行きなさい。お母さんは、こういう事にはグズいんだから」と、叱られてしまった。 さきほど、洗濯機の前で、まごまごしている連れ合いに、口で言うより手を出した方が早いので、私は、キャスター付きの椅子をごろごろ片足で移動させながら、洗濯場に行って、ボタン操作をしてきた。 この椅子は書斎の椅子だが、キャスター付きがこういう場合便利であることは、知っていた。 以前、ガンで歩けなくなった友人の家に行ったとき、家の中でやはりキャスター付きの椅子で、移動していたのを見たからである。 ただし、車椅子と違い、ホンの1センチほどの段差でも、引っかかってしまうので、そのときは、体を浮かせなければならない。 こんな事も、そういう身になってみなければわからないものだ。 昨日の夕方、友人から電話があった。 私は座敷で、横になっていたが、「あら、足を痛めてるの?そりゃ大変ね」といいながらも、私の声が元気なのを知ると、「ねえ、ちょっと訊いて頂戴よ」と、お喋りが始まり、こちらもそれに付き合って、小一時間喋ってしまった。 彼女は、ここ5年ほどシャンソンに凝っていて、二人の先生に付き、ちょっとしたライブにも、時々出演するほど腕を上げている。 一人は女の先生、もう一人は男の先生である。 彼女が時々鬱憤を晴らしに電話を掛けてくるのは、この男の先生を巡る女弟子の間のあれこれである。 美人で、頭が良く、芸大出の彼女は、基礎的な音楽能力が備わっているので、歌も、なかなかいい線まで行っているらしい。 だから、年下の男の先生からも、結構目を掛けられていた。 ところが、最近、強力なライバルが現れた。 彼女より10歳も若く、歌の実力はイマイチだが、どうも男の先生の気を惹くところがあるらしく、すっかりお株を取られてしまったという。 「とにかく、彼女は抜け駆けするのよ。先輩も後輩もないんだから」と憤慨している。 年一回の発表会で、彼女が歌うつもりでレッスンしてきた曲を、いつの間にかその女が自分の持ち歌にしてしまったという。 「それを事前に断りもしないの。ホント失礼なんだから」と怒っている。 先生のほうも、すっかりそちらの虜になっているので、頼まれるままレッスンをしてあげているらしい。 「私が歌う歌だと言うことは、先生はわかっているはずなのに・・」と、憤懣やるかたない様子である。 「そっちの彼女は団塊の世代なんでしょ。あの世代はダメよ。競争に勝ち抜くことで生きてきているから、そんな礼儀も、先輩後輩もないのよ。欲しい物は、人の物でも手に入れる人たちなんだから・・」と私も言いながら、彼女に同情した。 その先生は、そのギョーカイにしては珍しく、堅い人物で、弟子の扱いも公平だと聞いていたので、彼女の悔しさがよくわかった。 違う世界のことでありながら、共通する問題は、私の属する世界にもあるので、一緒になって、悲憤慷慨したのであった。 一人の女に目を奪われたとき、日ごろは理性的で、判断力のある男が、バランスを欠いた行動を取ってしまうことは、よくあることである。 そう言う意味では女はコワイ。 クレオパトラの鼻まで行かずとも、並の男が、ちょっと気の惹く女に心を奪われて、われしらず常識を欠いたことをしてしまうのは、私の周りにも見聞きする事である。 それが二人だけのことなら、第三者の知ったことではないが、集団の場に持ち込まれると、全体に影響してくるから困る。 「でもそういう女って、自分が悪いとは思わないし、反省のない人種だから、怒ってもダメよ。多分、向こうは、自分には関係ないと思ってるから、シラッとしてるわよ」と言うと、彼女も、そうねと言った。 ひとしきり喋ると、彼女もどうやら気持ちは少し和らいだようだった。 「もうあの先生に見切りを付けるわ」というので、「その方がいいわよ。そんな先生、幾ら才能があっても、指導者としては失格よ」と、私も言った。 団塊の世代が全部そうだとは言わないが、私も、この年代の女に何度か煮え湯を飲まされている。 虫も殺さないような顔をして、凄いことをするのが、この種の女の共通点である。 「素手でデモをした世代と、ゲバ棒を持った世代の違いかしらねえ」と、話は変なところに落ち着いた。 女友達というのは、つまらないグチをお互い、ゴミ箱になり合って、張らせるから良い。 ただし、横になったまま、フリーハンドの電話で長話した私のほうは、電話を切った途端、どっと疲れてしまった。 明日は、「頭痛肩こり樋口一葉」を、もう一度見ようと思って、チケットを買ってあったのだが、この足では行けそうもない。 千秋楽、きっと盛り上がって芝居の質も先週より上がっているはずだ。 前から5番目という最高の席である。 連れ合いは、別の会合と重なっている。 残念だが、せめて誰かに行ってもらおうと、6月にオペラのチケットをもらった人に、連れ合いが電話してみた。 家から歩いていけるところに、住んでいて、連れ合いのもとの職場仲間、夫婦で付き合いのある人である。 「飲み屋のたたきで転けちゃいましてねえ」なんて、よけいなことを言っている。 でも、「井上ひさしなら是非」と言ってくれたので、連れ合いがチケットを届けることにした。
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