ニューヨークで起こった大停電も、修復されてきているようだ。 こういうアクシデントに付き物の掠奪などの事件もあまりなかったようで、良かったと思う。 停電で思い出すのは、1970年代中頃、ブラジルにいた時。 よく停電に見舞われた。 私の住んでいたアパルタメントは、16階にあり、停電すると、エレベーターが止まり、真っ暗になる。 自家発電が働き、駐車場のドアの開閉作動やや、最低限必要な明かりは確保されるが、部屋の電燈は消えたままなので、暗い中で、点くのを待たねばならない。 現地の人は馴れたものだが、長時間の停電という現象に、あまり馴れてない私たちは、はじめ、ずいぶん戸惑ったものだった。 ある時、子ども連れで遊びに来た人がいて、一緒に食事していると、突然停電になってしまった。 しばらく待ったが、一向に明かりが点かない。 ハウスキーパーに訊くと、「さあ」と首をすくめて、ケロッとしている。 1時間も経って、ついにしびれを切らせた客人が、帰ると言いだし、子どもの手を引いて、16階の階段を降りてしまった。 表玄関はエレベーターでしか出られないのでダメだが、裏口は、階段がある。 「真っ暗だし、踏み外して怪我をするといけないから、もう少し待ったら」と言ったが、訊かずに降りていった。 幸い無事に下まで辿り着いたらしかったが、真っ暗な部屋で、待っているのは、耐えられなかったのであろう。 停電でなくても、ブラジルの電球は、よく切れた。 電球はまとめて買っておくが、持ちが悪くて閉口した。 一番ひどいのは、買ってきて取り替えた電球が、3分も経たずに切れてしまったことである。 長くても、ひと月保ったものはない。 店に行くと、取り替えてくれることもあったが、電球はそんな長持ちするもんじゃないと言うことになっているらしく、店のひともケロッとしていた。 こんな話はごまんとある。 30年も経って、記憶の底に沈んでしまったが、覚えていることもある。 いつかそんなことも、書きたいと思う。 夕べから、このあたりも、人口が減りつつある。 今日も、一軒明かりが消えた。 Uターンのラッシュを避けて、深夜に発つ人もいる。 私たちは、明日東京に帰ることにした。 買い物は、14日にしたまま、間に合わせてしまった。 いつもは、湖の近くのレストランで、一度くらい食事を愉しむことにしているが、寒さと雨の中、そんな気分にならず、手持ちの食料で済ませてしまった。
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