沢の螢

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森の癒し
2003年08月16日(土)

昨年の今頃、一体どんなことを考えていたのかと、古い日記を読み返してみたら、「森の癒し」について、何度か書いていたのだった。
やはりここ信州に来て、静かな暮らしの中で、感じたことや思ったことを綴っている。
昨年は、ホームページを別のサーバーで作っていて、まだページ数も多くなく、連句の付け合いも、さほど頻繁ではない。
7月に、つらいことがあって、わたしの心はカミソリで切られたようになっていた。
正当な理由なく、ひとから疎外されるという経験は、大人になってはじめてだった。
こちらの問いかけに応えはなく、そのまま、捨て置かれた。
傷口は思いのほか深く、ここに来ても、そのことから解放されなかった。
時間が経って自然に解決されるという種類のことではない。
はじめの段階で、誠実な対応をされずに来たことは、いつまでも尾を引く。
昨年は、暑い夏で、高原の気温も高かったが、ここまで来ると、日陰はひんやりして別世界だった。
持ってきたパソコンは、95型のノートパソコン、まだダイヤルアップだったので、インターネットもままならず、時間を気にしながら日に一度だけ開けてみるという具合だったので、ちょうど良かった。
毎日、付近を歩き、森の木を眺めたり、虫、鳥の声を聴きながら過ごした。
東京と信州を何度か往復し、森の自然に触れているうちに、だんだん心が癒されていったようだ。
8月の終わりの日記は、少し元気な文章で終わっている。
それからちょうど1年経つ。
問題は何も解決されていないし、一度絶ちきられた人の繋がりは、元には戻らないし、心の傷も、すっかり癒えたわけではない。
でも、こうして森の生活に戻って過ごすうちに、そんなことは、無理に解決しようとしなくてもいい、傷は傷のままでもよいと思うようになった。
傷を負わせた相手だって、それで幸せというわけではあるまい。
どんなに自分を正当化しようとしても、まともな人なら心のどこかで、ちくりと蘇るものがあるはずだからだ。
せめて、そう言う人であると思いたい。
いい思い出も少なからずある。
私自身のために、それは汚さずに取っておきたい。

今日は久しぶりに晴れた。
付近を少し散歩した。
同居人である私の秘書兼カメラマン兼ボディガードと、森から続く公園や、小川のほとりを歩いた。
昨年、同じ場所で、ある野党政党の大物と会った。
向こうには、複数の連れがいた。
すれ違う時、私たちは、森で人と会う時の礼儀として「こんにちは」と声を掛けた。
すると向こうは、ちょっとビックリして、挨拶を返しながら探るような目で、こちらを見た。
本能的に、相手が敵か味方かを察知しようとする目が、身に付いているのだなと思った。

ローカルテレビで美空ひばり特集を見る。
私はこの人を、ジャンルを問わず、日本が生んだ戦後最大の歌手だと思っている。
晩年近くの彼女の歌は、完成度が高く、オペラアリアから、都々逸まで、並の歌唱ではない。
音域が広く、声のコントロールが良く、どんな歌も、自分の歌にして消化している。
天から授かった才能だろう。
加藤一枝としては、あまり幸せではなかったらしいが、あれだけの素晴らしい歌を残している。
ひばりの名は、永久に消えることはあるまい。



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