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2002年02月17日(日) 音楽をやる理由(2)

中学に入る前に、私はB'zという存在に出会った。そして、それから生きる勇気をもらった。
当時の私としては、もう生きる力を失っていたから、かなり彼らには助けられた。あの時姉が撮った正月の音楽番組のビデオなかったら、私の人生はきっとつまらなかったに違いないって今でも思うからなぁ〜・・・。

で、そんなこともありつつ、中学に入学。この時は、やはり当然のように吹奏楽部に入った。
けどこの時、私の中にいくつか葛藤があって・・・。すごく運動部の方にも惹かれたんだけど、吹奏楽に入ることは小学校のころから決めていたし、姉が使っていたフルートを次に使うのは自分だって分かっていたし・・・。で、親に「中学3年間吹奏楽やったら、高校は自由なところに行ってもいいから」と言われ、吹奏楽に決めた・・・と、親を言い訳に使っちゃいけないか。でも、当時の私はマジでそう思っていた。

でも今考えると・・・、吹奏楽にいた3年間はかなり充実していた。家が家だったからなのか、知らない間にほぼ全パートの音がだいたい分かるようにもなっていたし、自分がピッコロ担当の時でも、フルートパートはほぼ完璧に覚えていたりした。もちろん自分が前トランペットやっていたこともあってか、トランペットのファーストもだいたい分かったな、あの頃は。
それに、先生にはかなりお礼言いたい(と今なら言える/爆死)。当時は、もうあの顔見るのだけでも嫌だったし、反発したい気持ち山ほどあったんだけど、今考えてみると、私の感性を高まったのはあの頃からだったから、かなりお礼は言いたい。でも、やっぱり会いたくないかも(自爆)。

中3の時、私は受験を機にピアノを止めた。私のピアノの先生はかなり厳しくて、その上練習嫌いだったからかなり怠けていて、お母さんに何回も怒鳴られた。1時期監視付きだったし(号泣)。そんなピアノ・レッスンから開放されて、私としてはメチャクチャ嬉しかった、当時はね。

高校に入るぐらいになると、だんだん自分は音楽をやりたいって思うようになって来たから、自然と吹奏楽に入った。けどそんなにレベル高くないし、練習は週に1回か2回あるぐらいだったし、翌年には吹奏楽コースが出来る関係で自然はい部が決まっていた。
それで次に入ったのが放送部だった、ということになる。当時の私はかなりアニメ好きだったから、将来は声優になりたいって思っていた。だから、その近道として放送部を選んだわけ。その上、音楽がずっと聞ける場所って言えばここかなぁっていうのもあったしね。

けど・・・、やっぱり音楽をやりたいって気持ちはあった。その上このころ、私はかなり音楽に関してはうるさくなっていた。高2でLUNA SEAに会って(正式には中1だけど、そのころはロックに興味がなかった。けど、「TRUE BLUE」と「MOTHER」はかなり気になっていた/爆)、高3でGLAYに会って(正式には高1の頃に「Freeze My Love」を聞いてからだったんだけど、この時はGLAYが歌っていることを知らなかった/爆死)、高1の頃にaccessが解散して、Icemanが出て来て、B'zは相変わらず熱狂的ファンだったし(このころからファンクラブに入った)、TKファミリーかなり好きだったし(今でも、globeとGABALLはかなり好き)、ウツや木根さんのソロ追っかけていたし・・・。私は知らない間に、月に最低3冊音楽雑誌を買い込むようになった。
でも今考えると、自分は音楽教室に住んでいるのだから、いくらだって音楽やれたはずだった。当時は自分がやりたい楽器(シンセなんだけど)がないから出来ないって勝手に思っていたけど、シンセがダメでもエレクトーンがあったはず。何でそんなことに気づかなかったんだろうって、すごく後悔もしているし。今はピアノでも多少出来るようになったからいいけど、あの頃はそのことさえも分からなかった。

前に、自分の小説(PEなんだけど)で言ったことがあった。
「音楽を止めたんじゃなく、それは音楽をやる環境を見つけていないだけだ」って。
自分で書いて、これは今の自分にも当てはまると思った。そう思ったら、あとからすごく後悔した。

その後悔は、私がイギリスに行くまでずっと続くんだけど・・・。


(TO BE CONTINUED)


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紫月 華 [HOMEPAGE]