| 2002年02月16日(土) |
音楽をやる理由(1) |
近頃こういった話をしていなかったと思ったので、久々に音楽の話を・・・(って、去年1回したかしないかだったような・・・)。
近頃、「どうして自分はこんなに音楽に執着心を持っているのか」とか考えることがある。そりゃ、理由として実家が音楽教室だからっていうのもある(今は実家じゃなくて、元実家になってしまったんだけど)。あそこにいた私の18年間は貴重だったし、その間にいろいろな音楽知識ため込んでいたからね。
でもどうしてあんなに音楽知識をため込んでいたのかなぁって考えると・・・、何も答えが出て来ない。知らない間に、物心ついた頃にはいろいろ知っていた。保育園児が、もうすでにモーツァルトやベートーヴェンとか知っていたんだからね。ウィンナー・ワルツも知っていたし、ショパンのワルツやソナタも知っていた。何か、すごい保育園児だよね(笑)。 もちろん、歌謡曲だって知っていた。物心ついた時には、姉の影響でピンクレディー好きだったし、あの頃は音楽がなっていたら、自然とグルグルよく分からん踊り踊っていた(爆笑)。ギター適当にひいて、ずっと歌っていたのをカセットにダビングしていたのもあったなぁ、そう言えば。もしかしたら、探したらゴッソリ出て来るかも(でも聞きたくないよ、恥ずかしいじゃん!!/笑)。
そう考えると、小学校で金管バンド部に入るのも当たり前だった。もう小学校に入った頃には、「絶対に入ってやる!!」って思っていたからね。で、4年生で入って、それからひたすら練習練習・・・。始めは鍵盤ハーモニカだったんだけど、6年生引退して、いざ自分はどの楽器やりたいんだろうって思った時、やっぱり目についたのはトランペットで、それから必死になって練習した。先生がよかったのか、私と同じ時期に入った子は上達が早かったみたいで、その子は5年でセカンド、私もサードだったけどポジション的にはよかったし。あの時の先生には、今でも本当にお礼が言いたい。
で、その年の6年生が引退して、またゾロゾロ入ってきて(もちろん、中にはムカつく野郎どもがたくさんいたんだけど/爆)、その時のパート決めがかなりムカついた。後から入ってきて、まだ大して音も出ないのに、彼女達はファーストへ行き、私はその時もサードだった。そりゃサードだってポジション的には重要だけど、私としてはファーストへ行きたかった。はっきり言えば、目立ちたかったのかな、あの頃は(今の私と正反対だ/爆笑)。 でも、それにもやがて転機がやって来る。それが、6年生のころにやって来た、金管バンド専門の先生(っていうのかなぁ??)。この先生になって、パート決めのテストやって、それで無事にファーストへ。あの瞬間は、本当に嬉しかった。ま、そこからが苦労の始まりだったんだけど・・・。 ファーストになって、キーが高くて音が出ない時がたくさんあってかなりきつかった。息が、本当に辛かったからね。私の使っていたトランペットはかなり古いヤツだったから、ピストン(ペットの音を出す3つの押しボタンみたいなヤツ←って、これでわかるかなぁ??)にオイル塗っても動きが鈍い時があったしね。それはそれで、結構辛かった。まぁこれはこれで、直にちゃんと克服するんだけどね。
辛かったことと言えば、ドリル練習も辛かった。ドリルは好きだったけど、何でこんな炎天下の中いるんだろうって、何回も思った。たぶん、その気持ちは翠霞も同じはず・・・(彼女、当時はパーカッションだったです)。でも仕上がった時には、すごく気持ちいいものがあった。最高な気分。この瞬間が、私はメチャクチャ好きだったね。
(TO BE CONTINUED)
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