| 2010年03月18日(木) |
Pとの遊戯/人形達は夜に囁く |
月齢29・・・ まるで夜獣の爪の様に細く輝く月光の下、青年は一人佇んでいた。
黒いレザーのジャケットとパンツを身に着けた青年の姿は、 ほぼ暗闇の中に溶け込んでいた。 彼の右掌に握られたガイアメモリだけが黄金色の光を放っている。
そのガイアメモリは数日前、彼が倒したドーパントの身体内から排出され、 粉々に粉砕した筈の物だった。
本来ならば鑑識に回さなければならないガイアメモリの残骸を青年は、 密かにある女に渡していた。
“このメモリを再び使用出来る様に直せるか?”
女は青年に彼専用のガイアメモリとメモリの有害物質をフィルタリングする為のドライバー、 更に武器やビーグル等も作り、与えてくれた。
彼女は粉々になったメモリの基盤を一瞥しただけで答える。
“このメモリの基盤はもう破壊されている。 何とか応急処置は出来るが、使用に耐えうるのはせいぜいあと1〜2回。 同じ能力のメモリを作るにはかなりの時間が必要。“
“では応急処置を頼む”と青年は言った。
“ドライバーは?”と云う女の問いに青年は不要、と答える。
“ドライバーを新しく作るのにはメモリ以上に時間が掛かるんだろう? どうせこのメモリが1〜2回しか使えないなら・・・“
青年の言葉に女は美しい眉を不安そうにスッと顰めた。
“あまり無茶はしないで・・・”
青年が拡げた右掌の中心に有る金色のガイアメモリの盤上に、 “Puppeteer”と云う文字が月光を受けてキラキラと浮かび上がっている。 まるで青年を誘うかの様な妖しい煌き・・・。
青年は意を決すると右掌でガイアメモリをギュッ!と力を込めて握り締め、 左手首に思い切り突き刺した。
「ウゥ・・・ッ!!」
熱く灼ける様な苦痛に青年は整った顔立ちを歪めた。
“Puppeteer”とガイアウィスパーを発すると、 ガイアメモリは青年の白い皮膚を穿ちながら身体内へ挿入って行く。
“・・・っくぅ・・・ッ!・・・ぁああああああッッ!!”
普段、彼専用のドライバーを介して挿すのとは比較にならない程の苦痛が青年を侵触する。
身体中の全細胞がまるで沸騰するかの様な熱い高揚感と、 脳が蕩ける様な恍惚感に魂が溺れそうになる・・・
それらを青年は精神力で必死に堪え、何とか正気を保とうとした。
やがて・・・ 突然、精神の全てがクリアになり、 細い月の明かりと数本の街頭のみで照らされた暗闇の街の姿が まるで赤外線マスクを装着してでもいるかの様に、はっきりと視えた。
青年は改めて自分が立っている場所にある建物をじっと見つめる。
『かもめ×ビリヤード』と書かれた看板が掛かった古い建物・・・ その内部に向かって青年は両腕を上から思い切り振り下ろした。
青年の両手の指先から放たれた無数の銀色の糸が勢い良く放たれ、 やがて、それは彼の想い人を捕らえた確かな手応えを示した。
永い・・・とても永い時間・・・ 気の遠くなる様な時間が過ぎた後、 “コトン・・・”と硬い音がアスファルトに響いた。
“コトン、コトン、コトン・・・”と硬い靴音に共鳴するかの如く、 青年の心臓も次第に高鳴りを増して行く・・・。
やがて、建物の裏手の暗がりからフッと人影が現れた。
ゆるやかなウェーブで流れる黒い巻毛にはピンクのリボンが可愛らしく飾られ、 シルバーグレーのワンピースの上にパープルのジャケットを羽織っている。 白銀の月光に照らし出された肌はまるで陶磁器の様に白く、 まるで人形の様に美しい少女・・・では無く、 少女と見まごうばかりに端正な顔立ちの少年だった。
奇しくも少年の華奢な身体は青年の指先から放たれた無数の銀色の糸に絡め取られ、 全ての自由を奪われた傀儡・・・人形と化している。
やがて・・・ その少年は青年のすぐ眼前でピタッと立ち止まった。
少年の黒い瞳はぼんやりと虚ろに見開かれ、 瞳の前の青年はおろか、一切何も写してはいない。
青年は銀色の糸ごと少年の、 細い身体をすぃ・・・と抱き寄せる。
“さぁ・・・? これから何をして遊ぼうか?”
青年はそう囁きながら、少年の顎を右手の指先で軽く摘んで上向かせる。 リップグロスを塗っていなくても、 銀色の月光を浴びた少年の唇は妖しく艶を纏って青年を惑わせる。 少年の唇に青年が自分のそれを近付けた・・・ その時、
“やめてよ・・・!”
操りの糸に縛られている筈の傀儡が、 何故か突然、青年の意思に逆らう言葉を発した。
驚いた青年が手の動きを止めて少年の顔を見つめる・・・と、 “ピョン!”と緑色に輝く丸い小さな蛙型ガジェットが少年の衣服の中から飛び出し、 ピンクのリボンの傍らにちょこんと乗った。
“やめてよ!今、そんな気分じゃないし・・・”
緑色の蛙は 意識の全てを糸に依って奪われている筈の想い人の声で繰り返し囁く・・・。
“やめてよ!今、そんな気分じゃないし・・・ やめてよ・・・”
機械仕掛けの緑蛙の声など無視して、 このまま力尽くで奪ってしまえば、 少年の身体も意思も一時は思いのままになるに違いない、 だが・・・
“お前の身体の自由を奪い、 お前の心の自由を奪い、 こうやって無数の糸で緊縛しても、 それでも・・・こうやって俺を拒絶するのか?”
青年は唇の端を引き歪めてフッと微笑うと、 両手の指先から伸びている銀色の糸をシュン!シュンッ!と巧みに揺らした。
グラ・・・リ・・・と瞳の前の少年の身体が大きく傾く。 そして、 そのまま踵を返すと、 ゆらゆらゆら・・・と華奢な身体を揺らしながら、 ゆっくりと少年は建物の中に戻って行く・・・。
“コトン、コトン、コトン・・・”と黒いパンプスの硬い踵がアスファルトを叩く音が、 次第に遠ざかって行き、やがて消えた。
“ウゥッ・・・!!”
突然、灼ける様な激痛が身体の奥底から発ち上がり、 青年の左手首を皮膚の内側から熱鋭く挿し貫いた。
“Puppeteer”とガイアウィスパーを発しながら白い光と共に排出されたメモリは、 アスファルトの上に落ちてパキ・・・ンと音を立てて砕け散った。
青年はその破片を靴の底でダンと踏み付け、 力を込めて思い切り押し潰した。
“ねェ・・・”
ふいに暗闇の中から呼び掛けられ、青年は顔を上げる。
声のした方を見ると、そこには白いブラウスに赤いベルベットのワンピースを着た 一人の幼い少女が佇んでいた。
あどけない幼女が、 こんな夜更けにたった一人で歩いている事に驚いた青年は、 思わず自分の瞳を疑い、 数回パチパチと瞬きを繰り返してみたが、 少女の姿は月光の下から消える事は無かった。
真っ直ぐに伸びた美しい黒髪、 クリクリとした愛らしい瞳、 さくらんぼの様な可憐な唇、
青年は、その少女の顔に見覚えが有った・・・。
“ねェ・・・お兄ちゃん、遊ぼうよ。”
少女のどこか寂しげな声が夜の闇を震わせる。
(ガイアメモリの直挿しは精神を蝕み、やがては・・・)
そんな誰かの言葉が青年の脳裏を一瞬掠めて、すぐに消えた。
“ねェ・・・お兄ちゃん、遊ぼうよ・・・。”
青年は右手を伸ばして幼い少女の左掌をそっと握った。 まるで氷の様にひんやりと冷たい手・・・。
“そうだな・・・何をして遊ぼうか?”
青年の問いに少女はニッコリ微笑って、 “ブランコに乗りたい”と答えた。
“じゃあ、風花公園に行こうか?ちょうど菜の花が咲いている頃だ。”
青年は少女の冷たい手を握りしめたまま、暗闇の中に向かって静かに歩き始める。
その少女の名前を尋かなくても、 なぜか青年は知っている様な気がしていた・・・。
“では、おなじみ『風都ミステリーツアー』のコーナーです。 ラジオネーム『窓拭きサンタ』さんから・・・
窓拭きのバイトの帰りで遅くなった帰り道、 深夜の『風花公園』の前を通り掛ったら、 黒いレザージャケットと黒いレザーパンツを着た若い男が、 誰も乗っていないブランコを押してるんです。
時々笑いながら話掛けたりもしてました、 まるで小さい女の子が乗ってるみたいに・・・
俺はメチャメチャ怖かったんですが思い切って尋いてみたんです。
「何でキミは誰も乗ってないブランコを押してるんだい?」
すると、その男は、 「俺に質問するな・・・」と言って・・・”
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