| 2010年03月05日(金) |
Guilty Sky |
前方から歩いて来た人影に“ドン!”とぶつかられた弾みで、 少年は右手に握りしめていた赤い風船の紐を離してしまった。
「あッ!待ってよ!」
みるみる蒼空へと舞い上がって行く赤い風船を追うのに夢中で、 隣を歩いていた母の掌を握りしめていた左手を、 いつの間にか離してしまっていた事に気付かなかった。
母とはぐれてしまった少年は、 とぼとぼ泣きながら彷徨い歩く内に、 ようやく赤い風船を見付けた。
だが、風船はかなり高い樹木の枝に引っ掛かっていて、到底少年の手は届かない。
風船を取りにも行けず、 はぐれてしまった母を探す気力も無く、樹木の下で泣いていると、
「どうしたんだ?お前・・・」
突然、頭上から声が掛けられた。 声のした方を見上げると、 少年より頭一つ分程大きい、鳶色の瞳の少年が見下ろしていた。 年齢は少年より大分上らしい。
泣いていた少年が樹上の赤い風船を右手で指差すと、
「ああ、あれか! よォし!ちょっと待ってろ!」
そう言うと背の高い少年は、 すんなり伸びた長い手足を駆使してスルスルスルッと樹木を登って行った。
そして枝に絡まった糸を巧みに外し、
「よっ!と」
足の裏で樹木の幹を踏切って軽やかに跳躍すると 次の瞬間、スタッ!と地面に降り立った。
「ほら!」
鳶色の瞳の少年は、 泣いていた少年の右手首に赤い風船に付いている紐をくるくると2〜3回巻いて、 キュッと縛り付けてやる。
「ほ〜ら、こうすればもう飛んでかねェぞ! だから、もう泣くな!俺はこの街の誰にも泣いて欲しくねェんだ!」
“うん!”と少年は肯いたものの・・・ 赤い風船が手に戻った安心感からか、 ふいに母親の事を想い出してしまったらしく、 今度は“お母さん、お母さん・・・”と呟きながら、しくしく嗚咽し始めた。
「ああ!もう!しょうがねェな!」
少年は泣いている少年の左手首をグィッと掴むと、
「来い!お前のお母さん一緒に探してやっから!」
人ごみの中を当て所無く二人でテクテク歩き続けている・・・と、 赤い風船を持った少年は人ごみの中に母親に良く似た女性を発見し、 慌てて駆け寄ろうとし、突然方向転換した。 その弾みで鳶色の瞳の少年はグラッとバランスを崩し地面に倒れ込む。
「うわッ!」
赤い風船の少年は、一瞬よろけただけで転ばずに済んだが、 転んでしまった背の高い方の少年は右肘を大きく擦り剥いてしまった。
「あ、痛ッてェ! おい!勝手に行き先変えんなよ!危ねェじゃねぇか!」
「ごめんなさい・・・そのキズ痛い?」
少年がシュンと項垂れてすまなそうに言うと、 背の高い方の少年は優しくフッと微笑しながら、 左掌で小さな黒い頭をよしよしと撫でる。
「気にすんな!こん位のキズ舐めときゃ、すぐ治っちまうからよ!」
「舐めれば治るの?」
少年は黒い瞳をキョトンと丸くすると、 もう一人の少年の右肘の傷に滲んでいる真っ赤な血に唇を近付けて、ぺろッと舌で舐めた。
「ちょ・・・っ!お前がじゃねェよ!」
キズを舐められた少年は驚きに声を上げながら、サッ!と右肘を引っ込めて、 自分の舌でぺろっと舐める。
初めて舐めた他人の血は公園の鉄棒の味に少し似ていた・・・。
それから二人でまたしばらくテクテクテクテク・・・と歩く内に、
「あ!お母さんだ!」 声を上げた少年は傍らの背の高い少年の顔を見上げる。 少年が笑顔で肯くのを確認してから、改めて左掌を離すと、 白いワンピースを着た母の元へ駆け出して行った。
「まぁ良かった!・・・探したのよ!」
母は心配に泣き腫らした黒い瞳を細めて少年を見つめ、小さな身体をキュッと抱きしめた。 そして少年の右手にある赤い風船に瞳を留めると、
「あら、その風船も見付かったのね・・・ 随分高い処まで飛んでしまったと想ったけど、誰かに取ってもらったの?」
母の問いに“うん!”と肯いて振り返った時には、 もうあの背の高い鳶色の瞳の少年の姿は無かった。
彼の名前を尋かなかった。 自分の名前も言わなかった。
だから彼には、 もう二度と逢えないかもしれない。
そう想った途端、 黒い瞳の少年の胸の中に、 急に寂しさが込み上げて来た。
「あの子と・・・また遊びたいな。」
ぽつり・・・と少年が呟く。
「珍しいわね、 人見知りのあなたがそんな事言うなんて・・・その子が欲しいの?」
コクン・・・と少年が肯く。
「そうね・・・ じゃあ、その子にしようかしら?・・・・」
「あの子を僕にくれるの?お母さん?」
少年の問いに、 母は紅赤い唇で美しく微笑うばかりで、何も答えてはくれなかった。
或いは、 その時の母の答えが、 幼い少年には理解出来ない単語の羅列だったのかもしれないが・・・。
(『ビギンズナイト』以前に逢っていたかもしれない、誰かさんと誰かさんのお話。
誰かさんのお母さんが『ダブルドライバー』を作ったのではないかしら?と云う勝手な予想を元にお話を書いてみました。)
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