| 2010年02月14日(日) |
Sweet Memories |
「こんにちは!フィリップ君いますか?」
元気130%の美声と共に『鳴海探偵事務所』のドアを開けて入って来たのは、 何と!風都のシティエンジェル園咲若菜だった。
「えっ?わ!わ!わ!若菜さん・・・っ?!」
ほとんど条件反射の勢いでフィリップは床から立ち上がると、 ソフト帽が掛かっているドアを開け、その向こう側にさっと隠れてしまった。
「フィリップ!おい!フィリップ!」 「フィリップく〜ん!お〜い!」と翔太郎と亜樹子がドアを叩いて呼んでも 全く現れる気配は無い。
翔太郎は仕方無く、 チャコールグレーのスーツを着て、以前より大人びて見える若菜に軽く頭を下げた。
「すいません、ウチの相棒、 超!恥ずかしがり屋なんで・・・。」
「じゃ、これをフィリップ君に渡してもらえますか?」
そう言うと若菜は持っていた白い紙袋から、 赤地に白の水玉の包装紙でラッピングされ、 白いレースを縁取ったピンクのリボンで飾られたハート型の箱を取り出した。
「えっ!アイツにですか?!」 「スッゴ〜イ!若菜姫からバレンタインチョコなんて!」
二人は思わず驚嘆の声を揃えて上げた。
「あ、助手さん達の分も有りますから・・・。」
「誰が助手さんだッ!」 「アタシ、所長なんですけどぉ・・・?」
ごそごそ・・・と紙袋から取り出されたのは、アルミホイルの小さな包みが二つ。
「・・・何か、露骨に差が付いてねェか?」 「・・・てゆーか、いくら『義理』でもアルミホイルは無いんじゃないの?」
ヒソヒソ小声で囁き合う二人には瞳もくれず、 若菜は恥ずかしそうに頬を紅く染めながら、 「フィリップ君によろしくお伝え下さい。」と、頭を下げて出て行った。
“バタン!”とドアが閉まると、 ソフト帽が掛かったドアが開いて、 白黒のボーダーTシャツにレモンイエローのパーカーを纏ったフィリップが フラリ・・・と現れた。
「やったじゃねェか!フィリップ!」 「良かったわね!フィリップ君!」
翔太郎に差し出されたハート型の箱をフィリップは、 「え?あ・・・はぁ、どうも・・・。」と、しどろもどろ答えながら受け取る。
ドアの向こうでやり取りは聴いていたらしく、 黒い瞳が熱を帯びてぼんやり潤み、何だか足取りがふわふわとおぼつかない。
ドサッ!と事務所の床に座り込み、ハート型の箱を呆然と眺めているフィリップの頭を 翔太郎は右拳で軽くコツンと小突き、
「オラ!開けてみろよ、相棒!」 「そうよ!開けてみて!開けてみて! 若菜姫の愛の手作りチョコレート、見た〜い!」
「キ、キミ達だってもらったじゃないか!自分達のを開けたまえ!」
好奇心旺盛な瞳で覗き込む翔太郎と亜樹子から 隠す様にハート型の箱を胸に抱えながら叫ぶフィリップの頬は赤く紅潮している。
「だってアタシ達のは・・・」 そう言いながら、 亜樹子と翔太郎はそれぞれの指先に摘まれたアルミホイルの包みを淋しそうに見つめる。
渋々・・・と云った顔付きでフィリップはピンクのリボンを解き、 赤白水玉の包装紙を開け、ローズピンクのハート型の箱の蓋を開けた。
中には薄紙に乗せられ、金箔をトッピングされたチョコレートトリュフが6個 可愛らしく並べられていた。
「お!ウマそう!さすが若菜姫!!」 「わ!カワイイ!さすが若菜姫!!」
フィリップは、箱の中のトリュフをしばし、 じ・・・っと眺めた後、 そっと一粒指で取り出し、唇に入れた。
「美味しい! まさに天使が作ったチョコレートだ!さすが若菜さん・・・。」
フィリップは黒い瞳をキラキラ輝かせて、感嘆の声を上げる。
「え?マジかよ!じゃ俺もさっそく・・・。」 「アンタ甘いものは嫌いじゃなかったの? ハードボイルドに女と甘い物は不要なんでしょ?」 ウキウキとアルミホイルを解き始めた翔太郎の腰を肘鉄で軽く小突き、 亜樹子もアルミホイルからトリュフを取り出し、ほぼ二人同時に口に入れた。
「うわっ!何コレ!苦・・・ッ!!」 「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁッ!!」
一口食べると同時に思わずペッと吐き捨てた。
舌の上に乗せた途端に拡がる奇妙な青臭さとカカオの香りのミスマッチング、 ツーンと鼻を突くアルコール臭とボソボソゴロゴロしたイヤ〜んな舌触り・・・
はっきり言って・・・・・・・・・・・・・マズイ。
「なぁ・・・確か手作りチョコ作んのって、そんなに難しいモンじゃねェだろ?」
翔太郎の問いに亜樹子はコクと肯き、
「『手作り』って言っても、 実際には売ってるチョコレートを湯煎で溶かして 生クリームとかナッツとか混ぜて固め直して、トッピングするだけよ。」
「じゃあ!なんでこんなクソ不味く仕上がるんだよッ!有り得ねェだろ?」
だが・・・
「美味しい!さすが若菜さんだ! このピスタチオと生姜とセロリと紹興酒、 レーズンとパプリカの複雑な配合には神秘さえ感じる・・・。」
フィリップは嬉しそうにモグモグ食べながら、 陶酔した瞳をうっとりと空に彷徨わせている。
「あのさ?フィリップ君? そのチョコ・・・本当に・・・美味しいの?」
亜樹子が恐る恐る尋ねるとフィリップはムッと眉間に縦ジワを寄せた。
「キミ達、何を言ってるんだい? いくら自分達の口には合わないからと言って、 その言い方は若菜さんに失礼じゃないのかい?」
どうやら彼は本気で美味しいと想って食べているらしい。
「じゃぁ・・・コレ、もし良かったら食べる?」 「あ、俺のもやるよ。」
亜樹子と翔太郎が申し訳無さそうに自分達のチョコを差し出すと、 フィリップは表情を輝かせて微笑った。
「いいのかい?ありがとう!」
「フィリップ君て・・・やっぱりマニアック?」 「つーか、恋は盲目ってヤツじゃねェの?」
ヒソヒソヒソ・・・と小声で囁き合っている翔太郎と亜樹子には全く無関心な様子で、 チョコを食べていたフィリップは、
「あ!そうだ!若菜さんにお礼の電話をしなくちゃ。」
そう言うとパンツのポケットからスタッグフォンを取り出して、 メモリしてある若菜のTELナンバーをプッシュした。
「まぁどうしたの?この有様は!」
次の晩餐会の料理の打ち合わせの為に園咲家の調理場に入った冴子は、 調理場の壁や床、天井のあちこちに飛散しているチョコレートの滓や、 シンクに積み上げられたチョコまみれの鍋やヘラなどの汚れ物を、 使用人達が総動員で拭き、洗い、 後始末している場面を見て、思わず声を上げた。
「若菜お嬢様が、 また今年もバレンタインのチョコレートをお作りになられまして・・・。」
「何?あの子ったら、またあのクソ不味いチョコを作ったの? 恋わずらいの相手にでも贈ったのかしら?自虐的だこと・・・。」
冴子は心底、呆れ返った様に言いながら溜息を吐く。
「あの、若菜お嬢様のチョコは、そんなに不味いんでございますか? お嬢様から 「台所を使わせてもらったお礼に」・・・と、 私共使用人全員に義理チョコを下さったのでございますが・・・。」
園咲家に入りたての若いメイドが躊躇いがちに尋ねると、 冴子は右掌をピラピラと振りながらピシャリと言った。
「ああ!無理して食べなくていいわよ!捨てちゃいなさい!
あの子、昔っから手作りチョコを毎年毎年毎年!作るんだけど、 とてつもなくマズいから、 お父様もアタシも大嫌いだし、 貰っても、誰も食べやしないのよ。 霧彦さんだって一口だけ食べて、後でトイレで吐いてたんだから!!
あ、でも・・・ そう云えば一人だけいたわね、物好きが。」
ふと冴子は何かを想い出したかの様に、 長い睫毛に縁取られた切れ長の瞳を薄く伏せた。
「あの子だけは、 あのチョコを毎年喜んで食べていたわね・・・」
“あ、若菜さんですか?フィリップです。 チョコレートありがとうございました。 すごく美味しかったです。
え?何言ってるんですか? 僕はお世辞なんかで言っていません。 ええ、本当に。
なんだかとても 懐かしい味がしました・・・。”
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