長野まゆみさんの作品『カンパネルラ』のあとがきを読んで、 あの宮澤賢治氏の名作『銀河鐡道の夜』が 昔の旧版と現在の普及版では各章の並び順が大きく異なり、 特に新版では最終章になっているジョバンニがカンパネルラの死を知る場面が旧版では物語の中盤に挿入されていると云う事実を 初めて知った。
これは宮澤賢治FANの間では有名な話なのだそうだが 私は旧版なんて物が存在する事さえ知らなかったので 吃驚してしまった。
長野まゆみさんが子供の頃、 最初に読まれたのは旧版の方だそうで、後に新版を読まれた時、その違いにかなりショックを受けられたと云う。
そりゃそうだ。 カンパネルラが死んでしまっていると識って読むのと識らないで読むのでは、たとえ同じ文章でも読み手の受け取り方が全く異なってしまう。
ましてや子供が初めて読むのだから、その時の印象は最も強く残ってしまい、その後で新版を読んでも違和感が大きく邪魔をしてしまい素直に読めないだろう。
私は最初に新版を読んでしまった所為か、やはりカンパネルラの死を知るのはラストの方が衝撃が大きいし読後に寂寥感が残るので良いと想うのだが、実は今回の件で私は自分でも気付いていなかった『違和感』の正体を知った。
ラスト間際にジョバンニが銀河鉄道の中でカンパネルラを見失った後、黒い大きな帽子を被り青白い顔をした痩せた大人が現われて、 「カンパネルラとキミ(ジョバンニ)の行く先は違う」と告げるのだが、 このブルカニロ博士と云う影の様な人物は旧版のみにしか登場してない筈なのに 何故か私は彼の事を良く覚えていて、 後に舞台等でブルカニロ博士のいない『銀河鉄道の夜』を観たりした時、 (あれ?何か物足りない様な気がする?)とボンヤリ感じていた。
自分でも気付かない内に旧版を読んでいたのだろうか?
いや、それならばカンパネルラの死がラストで無いのを全く覚えていないのは変だ。
散々頭を捻った末、ようやく私が最初にこの物語に触れたのが小説では無くアニメ映画だった事を想い出した。 アニメ版のラストシーンは現版通りだったがブルカニロ博士は登場していたのだ。
やはり最初に物語に触れた時の印象は大切なのだ、と改めて感じる。
『赤ずきんちゃん』だって実は狼に喰べられておしまい!と云う怖い教訓を含んだ可哀想な話だなんて、もう今更想えないものなぁ・・・
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