「あ!雨だわ!」
夕方から深夜までのシフト前に、 食堂の自販機で購入したコーヒーを飲んでいた婦長代理のケイトは 新人看護婦のエミィの声に、ハッと顔を上げて窓の方を見た。
つい先刻まで明るかった筈の窓の外には、 まるで闇夜の如く暗雲が黒く拡がり、 大粒の雨が激しいリズムを掻き鳴らしている。
「やだ、どうしよう?今日、傘持って来て無いのに……」 困惑した顔付きをしているエミィは、 確か朝から夕方までのシフトに入っていた筈だと、ケイトは記憶を手繰り寄せた。 仕事明けに大雨が降って来てしまうなんて可哀想に……
「あ〜あ、ついて無いなァ。 ケイト先生、良かったら一緒に帰りませんか?」
「ごめんなさい。私、今から仕事なのよ」
“あ、そうか……”とエミィは落胆の溜息を吐く。 傘を貸してあげたい気持ちは有るが、生憎ケイトも1本しか持っていない。 「誰か余分に傘持って来てないかしら?」と独り言の様に呟きながら、 エミィは食堂を出て行った。
“ザァァ……” 激しく降りしきっている雨は、どうやらしばらく止みそうに無い。 むしろ深夜に掛けて、これからますます強くなるかもしれない……と考えていると、 “バタン”と食堂のドアが開く音がして、研修医のレオリオが入って来た。 彼もエミィと同じ夕方までの勤務を終えた後らしく、白衣から私服に着替えていた。
「お疲れ様、レオリオ」 ケイトが微笑って声を掛けると、レオリオも笑顔で軽く会釈しながら、 向かい側の椅子に腰を降ろした。 「ひどい雨ね」 「ああ、何かデカイ台風近付いてるらしいっスよ」 そう言いながら、1つ隣りのテーブルに置かれてあった灰皿を取り寄せて自分の前に置くと、 ポケットから煙草の箱を取り出して1本咥えライターで火を点けた。
「レオリオは、傘持っているの?」 ケイトが尋ねると、 レオリオは首を横に振り、 「忘れちまいました」と唇の端を上げて “へへヘ……”と子供みたいに微笑った。
「じゃ、どうやって帰るの? この雨、当分止みそうに無いわよ」 心配そうな口調でケイトが言うと、
「俺はバッチリ!っスよ!」
右の親指を立てながら得意気に答える。
「さっき『同居人』に“傘持って迎えに来てくれ”って電話で頼んだんで……」
『同居人』と云う言葉を聞いて、 ケイトは即座にレオリオのデスクの上に有る、 青と白のタイルで組み立てられた写真立てを連想する。
どんなに多忙続きでデスクの上が乱雑になっていても、 その写真立てだけが、いつも綺麗に磨かれている事から、 ケイトはその写真に映っている人物がレオリオの『大事な人』だと直感していた。
ショートボブの金髪に縁取られた、品の良い端整な顔立ち。 意思の強そうな碧い瞳が印象的な……
“ボーイッシュで可愛い娘ね”と言ったら、 “ええ、コイツ男ですから”と、 さらりとレオリオに答えられ、吃驚した事をケイトは想起する。
(きっとあの子の事ね……)
「良いわね、 こんな大雨の日にわざわざ迎えに来てくれるなんて……」
“羨ましいわ”とケイトが言うと、
「いや……」 溜息混じりに紫煙を吐き出しながら、レオリオは苦く微笑する。
「結構、いろいろ大変なんスよ……お!来た来た♪」
突然、弾んだ声を上げて 吸い掛けのタバコを灰皿で揉み消すとレオリオは立ち上がった。
どうやら窓から見える正門の前に『同居人』がやって来たらしい。
「じゃ、お先っす!ケイト先生!!」 ペコリと頭を下げて食堂を出て行くレオリオに向かって ケイトは“お疲れ様”と言いながら右掌を振って見送った。
「よォ!サンキュ!わざわざ、すまなかったな」
病院の正門前に佇んでいる ボーイッシュな『同居人』兼恋人のクラピカに、 レオリオは右掌を上げながら声を掛けた。
クラピカが差している大きな黒い傘をヒョイと取り上げ、 二人の身体の上に降り掛かる雨を防ぐ……と、
「あれ?俺の傘は?」 クラピカの手に、レオリオの傘が握られていないのを不審に感じて尋ねると、
「それは私の台詞だ!」 見るからに不機嫌そうな顔付きのクラピカは、 意思の強そうな瞳を緋赤色に燃え上がらせて、キッと睨み付けた。
「何故お前の傘が我が家に1本も無いんだ?答えろ!」
「へ?・……1本も無かったのかよ?」
ポリポリ…と気まずそうに頭を掻きながらレオリオは視線を外す。
「どうせまた電車にでも置き忘れて来たのだろう? 全く!だらしないにも程が有るぞ!」
「仕方無ェじゃん、忘れちまったモンはよォ…… それにこの傘デケェから二人でもバッチリ入れるし♪」
「大体、お前がそうやって、あちこちに私物を置きっ放しにするから いざ使うと云う時に物が見付からなくて困るのでは無いか! 少しは反省したらどうなのだ!」
雷光の様にピシャリと声高に怒鳴り付けるクラピカを宥める様に、
「ま、良いじゃねぇか…… どうせお前、ついこないだ仕事終わったばっかで、家でヒマしてんだろ?」
「ヒ、ヒマしてなどいないぞ!」
途端にしどろもどろした口調でクラピカは答え始める。
「次の仕事の為に資料の文献を読んだり、 仕事中に放映されたドラマの続きを見たりだな……」
「………立派にヒマしてんじゃねぇかよ」
「いけない!マフラー忘れちゃった〜!」
慌てた口調でそう言いながら、エミィがバタバタと食堂に入って来た。
ふと、 彼女の右手に握られている大きな黒い傘にケイトは瞳を留める。
「あらエミィ、傘借りられたのね」
「ええ、さっきレオリオが貸してくれたんです。 “俺はバッチリだから♪”って……」
「なぁ、クラピカ……」
耳元にそっ…と唇を寄せて、小声で囁く。
「せっかくだからよ、今夜は外でメシ喰ってかねぇか?」
だが、 「お前のそう云う、やたら無駄使いをしたがる処が、 我が家の貯蓄がなかなか増加しない原因だと私は考えるぞ!」
鼻先にピン!と人差し指を突き付けられ、つれない答えをキッパリ返されたレオリオは、 拗ねた様に頬を膨らませてブツブツと呟く。
「別に良いじゃねぇか、たまにはよォ……」
(なるほど……たしかに“いろいろ大変”みたいね)
ケイトは微笑みながら、
窓の外……
透明な雨に包まれながら寄り添って家路に付く恋人達の姿を眺めていた。
(いつものななかさんのワンパターンですみません(涙)以後精進致します)
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