白木蓮の咲く庭で...久純ゆきの

 

 

月ノ華 4 - 2004年07月30日(金)

玄関からではなく窓から出てきた気配が
静かな足音を立ててこちらに近づいてくるのを、
木蓮は事のはじまりからずっと感じ取っていた。
弟子の部屋にぽっと小さな明かりがともり、
それが廊下へと移動し、自分の部屋に行き着いて消えたところから。

自分でも不思議なくらい、己の感覚が冴えているのが分かる。
それはたまに口にしてみた酒に酔っているせいではなく、
最初から勝手に神経の方が過敏になっているのだ。
多分、昼間の動揺のせいだろう。

(多分ではなく十中八九というか間違いなくというか……)

いろいろと言い回しを変えてみたのは、認めたくない自分がいるからだった。
何度目かのため息が、止めるまもなく零れ落ちた。

初心な生娘ではあるまいし。
そう思って、しかしすぐに、その言葉も昔言われた事があると思い至った。
呆れ返るくらい、昔の記憶が溢れ出して止まらない。
忘れていたような些細な事柄や会話が。
そうしてまた思い出した別の記憶に揺さぶられて
感傷に浸ろうとする自分を発見し、木蓮は思わず頭を抱えた。

(……最悪だ)

この花畑に居ついてから、いまだかつてない最悪の精神状態だった。
自分で自分を制御するのに、これほど手こずったことがあっただろうか。
御するどころか完全にお手上げで、
眠れないままにゆるゆると酒をあおるくらいしか、
このどうしようもない感情をやり過ごす方法を思いつけない。
そして何故か、長らく仕舞い込んでもう着る事もないと思っていた服を
引っ張りだして身に着けていたりする。

首周りが広く開いていて袖のない上衣に
体の線に沿うようなぴったりした黒い下衣。
上着には飛び立つ鳳が、下衣には舞い降りる凰が、丁寧に金糸で縫い取ってある。
めまいがするくらい自己主張が強く、派手だった。
これを木蓮に誂えた人物の審美眼は確かだったから、
多分己の姿によく映えるのだろう。
しかしそれは木蓮にとって、割とどうでもいい範疇に分類される。
着飾ろうが着飾るまいが、根本的に己の何かが変わる事はない。
変わるものがあるとしたら、それは自分を外から見る人の目だ。
そんなものを気にしなくて良くなった今となっては、
いつも着ている麻の長衣があれば十分だった。

(十分なはずなのに……何故だろう)

百歩譲って物思いに耽るのは認めても、
何故わざわざ服を替えなくてはならないのか。
自分の行動に腹が立って、情けなくて、酒をまた一口流し込んだ。
そうやって延々と考えを逸らし続けることで、
本当に心の奥底に眠らせたままの痛みには
決して触れないでいることに、木蓮自身は気づいていなかった。



...



 

 

 

 

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