明け方に具合が悪くなって目を覚まし、バイトに遅れて出勤。 体力の限界が朝にやってくるなんて、まったくもう。 でもなんだかだいって、夜遅くまで仕事や勉強であくせく過ごす。 過ごせてしまう。そんな不思議。 不思議といえば、図書館で一冊の本を読んだことで、 なにか生き返ったような感じになった。 「死生学」という学問の本だった。 生きることや死ぬことを通して、命の重さを哲学する。みたいなことなんだが、 著者がユーモア溢れる面白い方で、 なんかスカンと天井がぬけたようなすがすがしさを覚えた。 ああ、悩むことないんだ。みたいなね。 その本のタイトルは「ユーモアは老いと死の妙薬」。 (なんかどことなく私っぽいなぁ……。) 日本に長く住まれているドイツ人の方が書かれた本だけど、 だから当然、日本語は訳者を介せずにご自分の言葉そのままなんだろうけど、 うまいよなぁ。母国語じゃないんだろうに、巧く使いこなしておられる。 下手な日本人よりも伝わりやすくて、たいへん読みやすかった。 ぼーっとしていないで、ゆっくり休んで自分を取り戻さなくては。 「私いま、頑張って無理してるなあ」っていう気分の瞬間があるけど、 そう思うことが一番体に悪いのだ。そう思わなければ多少の無理もいいんだが。 「気持ちが頑張る」のが一番よくない。 物理的に忙しいのはいっこうに構わない(理論的には)。 きっと精神的に早歩きしちゃってるんだなあ。 「私がもっと体がでかかったら、高いところに手が届くんだろうなあ」 「もっと足が長ければ、もっと早く歩けるのになぁ」 「もし私が元気なら、もっと……」みたいに考えてしまう結果、 早くない自分の足で1m歩くあいだに、意識だけが10mも進んでしまう。 「理想と現実」というより、「精神と物理」のギャップが激しくて、 「あれ、私いま何歳だっけか」みたいな錯覚すら覚えてしまう。 そんな食い違いが逆に面白かったりもするので楽しいは楽しいんだが、 あんまりズレが酷すぎても大変である。疲れる。 もしくはそのズレの部分を利用して、 フィクションを生み出すのに役立てるかだ。 いま改めて、これからも結構長く生きていくことになるであろう 自分の精神面と物理面と、もう少しだけ仲良く付き合わなくてはならない。 単純に、両者が同じところをゆっくり進めばいいんである。 |