一日学校にいたが、すごく忙しかったということでもない。 でも、プレゼンを控えている人々が部屋中にどどどどっと溢れ、 一面、ノートパソコンまみれになったりした。 そんな中で宛名を書いたり電話をかけたり、 事務員丸出しの作業を一人行う。 敬語の間違いをMくん(細)に指摘されたりしているうちに 時が迫り、先の人々の苦労の結晶であるプレゼンを見る。 これ、一年とちょっと前だったら絶対凹んでるんだろうなー。 頑張ってるんだなあ、と詠嘆。 今日はなんだか、延べ人数でもの凄く大勢の人間に会った。 いつもひっそりしているはずの学校が、今日はいささかわっしょいだ。 こんなことを繰り返して、ボケを防止するしかない。 つくづく、そんな調子。 物理的には楽だったはずだが、 敬語で知らない人と話すのはたいへん疲れる。 きれいな字で手紙を書くのもたいへん疲れる。 そういった、わかりづらい労苦を経て今日は疲れた。 そして、さっそくピアノの練習をしそびれた。 そう、最近なぜだか研究室に置いてある電子ピアノ。 とりあえず『幻想即興曲』を、再び弾けるようになろうと決めた。 初めてマスターしたのは1993年のことだ。 まだ、日本の不景気も始まったばかりだった頃のことだ。 まだ、安室奈美絵がブレイクする前のことだ。 それだけに時は十分に流れ、まるで砂に埋まるように指は曲を忘れた。 ピアノ曲は、まず指から忘れていく。耳は忘れにくい。 そんなわけで耳に残る音の記憶を頼りに、指を動かす練習する日々。 パソコンのタイピングで指の関節自体は動かしているものの、 やはりピアノとなると勝手は違うんであり ……たやすいことにあらず、と悟った私は、 「どうれ、ここを訪れるたびに練習しようではないか」と 実用性の低い決意を固めた。 遠慮がちな意図をこめて音量を小さめに調節すると、 鍵盤をボコボコ叩く音ばかりが響いて、かえって不快な感じがする。 基本的に練習など大嫌い。コツコツ毎日練習!などした覚えはなく、 発表前の一週間だけ一日5時間練習。という勇敢なスタンスだった。 そんな人間でも、たまに弾きたくなることがある。 たまに弾くから好きでいられるのだ。と、別居した夫婦のようなコメント。 ものごとは、続けようと思うからなかなか続かない。 UFOは、見ようと思うからなかなか見えない。 最近、“芸術の秋”というフレーズが羨ましい。 ああ近頃、芸術とさっぱり関係ない暮らしをしているなあ。 デザインは芸術ではなく、工夫なのだ。 工夫など考えずに、単に歌が歌いたい。 観客に向かってマイクで叫ぶのだ。 「今日、ここに来てくれたみなさんに 生絞りを勧めます! 生絞りを 友達に勧めよ――う!!」 シカオ・スガ。逆さにするとなにがなんだか。 |