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音感の無駄遣い
2002年08月12日(月)

森山周一郎の声真似をしてみる。
「似てないけど、すごい」という評価を受ける。
「喉痛めるなよ」という忠告も。

声帯がもっと幅広かったらいいなー、と仕方のないことを思う。
どこでもドアがあったらなー、くらいの想い方である。
訓練次第で高音・低音の幅はある程度広げられるし、
事実広がってた時期もあったが、先天的な素養も必要だ。
マライア・キャリーなんて7オクターブという噂。どっひゃあ。
私なぞ、訓練してた時期で3オクターブくらいである。
今はもう少し狭いが、ほとんどの歌はそのくらいでも充分なのに
7って。7だよ7、おいおい。グランドピアノの幅くらい?うーわー。

それにしても合唱、またやってみたい。
いい加減、履歴書などの趣味の欄に「合唱」と書く際の
罪悪感を払拭したいのだ(注:やめてから5年も経過していたら
それはおそらく『趣味』ではない)。
『第九を歌う会』とか、そういう季節限定なプロジェクトに
数週間だけ参加してみるのもよいかもしれん。

合唱部の頃はメゾやアルトばかりやってきたので、
主旋律を歌うのがどうも気が引けてしまう。
『いや、自分がメロディ歌うなんてそんな』と、ヘンな遠慮がある。
名脇役で有名な役者が、急に主役をもらうみたいな感じか。
ええっ、俺がメイン?いいの?わー、パンフレットの一番上に
俺の名前載っちゃってるよ。ちょっと照れるなー。

とあるアイヌ民謡を歌った時、全く歌詞を歌わなかったりした。
その曲のあいだずっと「ウ――♪」というハミングのみの地味な出演。
カラオケで友達が歌っていると、その癖でハモってしまうことがある。
メロディが聞こえたなら、それを美しくハーモニーに仕上げる癖。
楽曲ならまだいいが、『♪きれいな白さすずらんの香り〜』とか、
『♪昆布をぎょうさん使て〜るのっ』とか、
『♪やっぱこれだね〜ロッテのト〜ッポっ』とか、
反射的にCMにまで無駄に美しくハモってしまうと、
なんだか切なくもおかしい。

あー、歌が歌いたいー。
午後から急に涼しくなって喉が痛くなった、
その途端に歌いたくなるなんて。
人間の欲求はこうも皮肉。