森山周一郎の声真似をしてみる。 「似てないけど、すごい」という評価を受ける。 「喉痛めるなよ」という忠告も。 声帯がもっと幅広かったらいいなー、と仕方のないことを思う。 どこでもドアがあったらなー、くらいの想い方である。 訓練次第で高音・低音の幅はある程度広げられるし、 事実広がってた時期もあったが、先天的な素養も必要だ。 マライア・キャリーなんて7オクターブという噂。どっひゃあ。 私なぞ、訓練してた時期で3オクターブくらいである。 今はもう少し狭いが、ほとんどの歌はそのくらいでも充分なのに 7って。7だよ7、おいおい。グランドピアノの幅くらい?うーわー。 それにしても合唱、またやってみたい。 いい加減、履歴書などの趣味の欄に「合唱」と書く際の 罪悪感を払拭したいのだ(注:やめてから5年も経過していたら それはおそらく『趣味』ではない)。 『第九を歌う会』とか、そういう季節限定なプロジェクトに 数週間だけ参加してみるのもよいかもしれん。 合唱部の頃はメゾやアルトばかりやってきたので、 主旋律を歌うのがどうも気が引けてしまう。 『いや、自分がメロディ歌うなんてそんな』と、ヘンな遠慮がある。 名脇役で有名な役者が、急に主役をもらうみたいな感じか。 ええっ、俺がメイン?いいの?わー、パンフレットの一番上に 俺の名前載っちゃってるよ。ちょっと照れるなー。 とあるアイヌ民謡を歌った時、全く歌詞を歌わなかったりした。 その曲のあいだずっと「ウ――♪」というハミングのみの地味な出演。 カラオケで友達が歌っていると、その癖でハモってしまうことがある。 メロディが聞こえたなら、それを美しくハーモニーに仕上げる癖。 楽曲ならまだいいが、『♪きれいな白さすずらんの香り〜』とか、 『♪昆布をぎょうさん使て〜るのっ』とか、 『♪やっぱこれだね〜ロッテのト〜ッポっ』とか、 反射的にCMにまで無駄に美しくハモってしまうと、 なんだか切なくもおかしい。 あー、歌が歌いたいー。 午後から急に涼しくなって喉が痛くなった、 その途端に歌いたくなるなんて。 人間の欲求はこうも皮肉。 |