Back  Index  Next

桜だ
2002年03月24日(日)

今日は高校時代の某知人集団と花見。
桜の巨木が立ち並ぶ近場の公園は、地元民の予想以上にデカく、
人も多かった。屋台が異様に建ち並ぶのを見ると、
なんだか自動的に浅草を思いだしてしまう自分がいる。
冷静に考えるとこういう食べ物は高いな、と思いつつ
みんなで持ち寄った食料品で腹を満たす。

まだ3月だというのに桜が満開。
今年の桜の、なんと気が早いことよ。と、
どこかの短歌の現代語訳のようなことを思う。
『桜』といえば、思い出される建物がある。
サグラダファミリア教会だ(単に名前が)。
そっちは設計者が亡くなってもまだ未完成だという。
今日テレビを見ながら、それはまたなんと気の長いことよ。と、
季語のない随筆のようなことを思った。

街中がなんでもかんでも歴史を刻む(ような気がする)ヨーロッパと比べ、
日本は古い建物が少ない(ような気がする)。
それは単に湿気が多い風土で、紙や木で作られた建物が多いからという
だけではなく、パッと咲いてパッと散ってしまうような
儚いものに魅力を感じる国民性ゆえなのかな、と思った。
桜もそうだし、花火もそうだ。額縁に入れて飾るよりは、
どちらかといえば瞬間を愛でる国民なんだろうか。
なんちゅう贅沢だ、と思う。
桜が毎年咲くことに、あまりにも慣れすぎているのかもしれない。