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まったりとはなんだ
2002年03月22日(金)

まったりできる所はないかな、と探した。

できれば、静かで、静かすぎなくて、
落書きしてても誰ものぞき込んでこなくて、
店長が格別陽気でも陰気でもなく、
急に幼児の集団がかくれんぼを始めたりしそうもなく、
安定したテーブルがあって、まぶしすぎない光があって、
コーヒーか紅茶が(安く)飲めるところ。

……と思って探したが日が悪かった。
今日は某所の卒業式だ。

晴れ着姿のお姉さんや、父兄が目に付く。
どうもテンションが高い。そりゃそうだ、一つの人生の節目だ。
テンションが妙に明るい。寂しいよー、という表情の人は
あまりいないように見える。
よく中高生が卒業式に泣いているが、私は泣かなかった。
寂しいもんだ、と思ったことはあるが、
私は注射と卒業式では泣かない人間だ。
そういえば中学の時ツベルクリン判定の注射で泣いてた友達がいたな、と
思い出しつつ眺めれば、とにかく駅前の店という店、
ファーストフードというファーストフードが
卒業式関係ないし高校生で埋まっていた。
それによって、私はまったりを逃した。

まったりが成立することは難しい。
家にいてもしばしばくつろぎは乱される。
犬が吠えたり、へんな声の竿竹屋や選挙の車が通ったり、
家族がわいわい騒いだりする。
そこで私は時刻表を調べ旅に出て、わりと遠くの町に行く。
しかしそこへ行っても、This isまったり!と思えるものはなかなか得難い。
そう言いながら世界一周の旅に出て、
七つの海を勇敢に航海して人魚と親しくなり、
挙げ句魔女の城あたりから何かを取り返したとしても、
やはりまったりは見付からない。
こりゃどうすればいいんじゃ、と思う頃にはすっかり老人になっていた。
そして日本の関東地方、見慣れた駅に帰ってきて、
とぼとぼ歩いて家に帰り、そして気付く。
「そうか……まったりは、みんなの心の中にあったんだ!」
そのことに気付いたので、客人を招いて3日3晩歌い踊り明かしたとさ。
めでたし、めでたし……
                〜「グリム童話」・完〜

…今日の気分はファンタジー。
しかしまったりという言葉は掴み所がないな、と思う。
ある種の理想のような概念かもしれない。