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休業明け
2002年03月21日(木)

昨日と一昨日は、パソコンの電源を切っていた。
なんとなく、全体的に疲れが出ていた。

食べて飲んで眠って、起きて考え事をしたり。
ゲームをしたりテレビをみたりと、文字通り堕落した時間を過ごす。
何かを生み出すのには苦痛をともなうが、
何も生み出さないとどうなるもんだろうと思った。
やはりどこか苦痛かも知れない。
こうした雑文でも小さな落書きであっても、
何かを生産していないとやはりダメかな、と思う。
それを止めた途端に錆び始めていくし、
続けない限り向上はあり得ない。
金魚にとって水の中が普通であるように、
創作をして暮らそうと思う者にとって生産は日常であるべし、だ。
そうさのう、そうさのう、と、
昔ハウス食品の提供でお送りしていたアニメ・赤毛のアンにおける
マシュウの口癖をつぶやきながら納得する。

人はなぜゲームにはまるのか、といったことを考察。
育成だとかカスタマイズ性だとか、
ソフトが大量生産されているわりに個人のメディアなのだ。
でも、他者とのプレイ情報の交換も楽しい。
そういう二面性がヒットの理由だそうだ。
RPGでどこかの城や町に行った、その時のことを
同じゲームをやっている友達と話すのは、
「こないだ渋谷で…」等と、実際の町に行った時のことを
話すのに似ている。
渋谷に行ったことがある人は他にもいるが、
その時の体験、天気、感想は自分だけのものである。
製品(ソフト)にプログラムされている情報が同じでも、
個人の微妙な選択の差異によって体験が少しずつ変わる。
それが、画質といった見た目ではない次元での
リアリティーを生んでいる。
個人に歩み寄ってくれるマスメディアとして、
RPGは新しかったのだなあ。などと納得。
ソフトの開発は面白そうだ。が、どーも掴み所のない世界とも言える。
……でも、ハードは苦手やし……ぶつぶつ。

自分はこの先なんの仕事をする人になるんだろうな、と
最近ようやく現実的に考える気になれた。
社会は広いから、いろんな仕事がありそうだ。
…自分は必要ない、などと決めつけるのはまだ早そうだ。
人一人が持てる世界観は死ぬまで狭いという。
つまり、その外側にはもっと何かあるのだ。
私が好きなのは絵を描くことと面白いことを考えることくらいだが、
それだけでもいいからまず鍛えていこうと思った。