食い倒れというのはオオサカのキャッチフレーズ(?)だが、 今日私は食いそびれた。……朝飯と昼飯を。 朝起きて、「あっ遅れるっ」と家を飛び出し、 電車にn時間揺られて、取材に出掛け、古い貴重品をさわり、 パンフレットのことでおろおろし、作品集のアドバイスを受け ……気付くと、4時を回っていた。 『早い夕飯を食ってからバイトに』という予定をイメージしていたので、 私の心の中にさまぁ〜ずの三村氏が10人ほど現れて くちぐちに「もうこんな時間かよ!」「早いなオイ!」と、 状況そのまんまをツッコんでいた。 早い夕飯を食べてバイトに。 そして、家に帰ったのは10時過ぎだ。 しかしこんな忙しい一日のうち、 移動時間が5時間も含まれているのはすごいことだ。 「学校と家が近かったらもっと何かできるんじゃないか」などと、 半分事実で半分虚無な、少々甘い夢を見る。 そういえば私は、学校が近所だったことはほとんどない。 中学生の時に一年だけ市内の学校に通ったことがある。 歩いて15分の距離に、鳥肌が立つような感動を覚えた。 3時半に学校が終われば、4時前に家に着いているのだ。 多くの人はそんな生活をずっと続けているのか?という疑問さえ湧く。 たとえば同じ時代に生まれ、同じニュースをテレビで見て、 同じ基準の教科書で義務教育を享受したとしても、 そんなことは大したことではないのかもしれない。 それ以上に、その人を決定付ける要素はうじゃうじゃしている。 私だけかもしれないが、初めて海外に行った時より 初めて地元の学校に通った時の方が よっぽどカルチャーショックが大きかった。 言葉も似ているようで少し違うし、食べ物も常識も違っていた。 一番の異文化は実は身近にあったのさ、という ヨーロッパの喜劇にありそうでないような皮肉な日常だった。 その経験ゆえか、今もなんだか斜に構えている。 隣はなにをする人ぞ。 |