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杞憂
2001年11月14日(水)

デザインだとか何だとかいう世界を考えると、
世の中ありとあらゆるものがありすぎる気がする。
もう生み出されるべきものは生み出され尽くして
いるのではないか、だから自分は
不必要では?という不安すら覚えるほど。

私は幼少期から面白いことを考えるのが好きだった。
周りと違うことをするのは当たり前だった。
(幼い時期を大らかな環境で過ごせたことは
たぶん良いことだったように思う。)
しかし、面白いことを生み出すのは難しく、
才能には必ず限界があるらしいよ、ということを
7歳くらいの頃たまたま聞きかじった。
なぜか不安になった。
自分に何か才能があるかどうかは努力しないと解らないし、
努力を積んだ上で才能がないと気付いてしまう
人間がゴマンといるという。
自分の持っている鉛筆が、
自分に何をもたらすのか。何を導くのか、
すごく不安になった覚えがある。

自分が鉛筆で書いた文、絵、線の一本一本が、
やがて過去になり、それを見直して下手だと
言われるのは嫌だなと思っていた。
やがてつたなくなる現在のために消費される
ノートのせいで、何本の木が倒れただろうと
嘆いた。
でも、何かを書かなくては私はつたないままなのだ。
そんなにまでして自分は育つ価値があるのか。
地球を汚して、外国の知らない子供が飢えている
最中に平和な食卓で夕飯を食べ、
そんな自分に生きる資格があるのか。
などという内容のことを、
もっとずっとシンプルな言葉ではあるが悩んでいた。
……どんだけ可愛げのない子供だろう。

私は頭が良くも悪くもないが、
ゆっくりというよりは素早い方だろう。
無駄なことで憂慮して損をするタイプで、
人の三倍の速度で歳を取っている気がするのは
無駄に考え込んだ量が多めだからかもしれない。
時々、自分の知性と感性のピークは
10歳で過ぎたかな、あとは死に至るまでの
履歴にすぎないのか?と思ってしまう。
無駄だとわかっている悩みを抱える癖も
当時そのまま。困ったことだ。
どんだけ可愛げのない学生だろう。

もっと行動することにエネルギーを費やすようにしよう。
自分の顔を触って、まだ老人ではないことを確認。
しわはない。
このままだと、当分は生きていられそうだ。