Deckard's Movie Diary
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| 2003年07月15日(火) |
ターミネーター3 トーク・トゥ・ハー |
「映画は現場で作られてるんじゃない!会議室で作られてるんだぁ〜」(copyright by Jirochou?)。まさにそんな言葉がピッタリくる映画でした(苦笑)。頭で、データで、マーケティングで創作されたモノの限界なんでしょうか?それなりに面白く、細部まで良く出来ていますし、オチも水準をクリアしています・・・だけんどもしかし!この映画には全く魅力がありません。全ては監督の力量でしょう。脚本に命を与えるのは監督の仕事です。優れた脚本だからと言って、そのまま撮れば傑作になると思ったら大間違いです。監督が描きたかったコトがどれだけ強烈に押し出されているか!というコトがその作品を魅力的なモノにする一つの要因だと思いますが、この映画には監督(ジョナサン・モストゥ)が思い入れしている部分はあったのでしょうか?簡単に言ってしまえば、監督はこの作品に惚れていませんね!
「あの娘いいよねぇ」 「そうかぁ?(普通の娘じゃん)」 「ほら、あの鼻が可愛いよなぁ・・・」 「鼻?(ただの低い鼻じゃん!)」 「ヘチャ!ってしてて、なんか触りたくならない?」 「オ、オレは遠慮しとくよ(大丈夫かぁ?こいつ!)」
ってな会話をよく耳にします(しないよ!)。例えば、そういう個人的な思い入れが作家性に現れたりするのですが、この映画にはそういうモノが一切存在しません。目、鼻、口と人並み以上に整っていて全体的なまとまりも悪くないのに、何処か冷たい・・・血がかよってないような印象です。まるで女ターミネーターそのもの(笑)。思わず大滝秀治のように「つまらん!お前の映画はつまらん!」と心の中で怒鳴ってしまいました(笑)。それにしてもクレア・デーンズ・・・どんどん可愛くなくなっているような気がするんですけど・・・ボソ。
前作のアカデミー外国映画賞受賞作『オール・アバウト・マイ・マザー』もイマイチだったんですけど・・・ひっじょ〜に苦手なペドロ・アルモドバルの新作『トーク・トゥ・ハー』(苦笑)。この人の映画は特に女性に人気が高く、今作もあっちこっちから女性陣の「良かったぁ」という声を耳にしました。で、TRYしたんですが・・・♪〜( ̄ε ̄;)。やっぱダメだったのよねぇ〜(苦笑)。細部に渡って質の高さは感じさせてはくれるのですが、何故にこうも高い評価をされるのか全く分かりません。だって、変態の変態的行為を結果的に美しい愛の奇跡として正当化してるだけじゃないんですかぁ?挙句に、見守っていただけの方はああいうコトになっちゃうしぃ・・・。「描かれる狂気は理性よりも慈愛に満ちている・・・」と監督が云ってるんですけど、相手が昏睡状態だから好き勝ってしたことを“慈愛”と云われてもなぁ・・・それって、全くコミュニケーションの無い愛の押し付けじゃん。アモちゃんの映画って、少女が持っている清純な心と、“アレの話”も実は好き!という両方を絶妙な按配で味付けしているような気がするんですけど・・・違うのかなぁ。アダルト向けの少女漫画(レディコミじゃないですよ(笑))のような世界というか、登場する男性陣も全く存在感がありませんし、まぁ、オイラはオープニング&エンディングで披露されるビナ・バウシュの舞台も全くそそられませんし・・・(⌒o⌒;A お手上げですな。
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