Deckard's Movie Diary
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| 2002年10月10日(木) |
阿弥陀堂だより 昭和枯れすすき |
予告編ではちょっとヤバそうなニュアンスだった『阿弥陀堂だより』を観てきました。最初、ちょっと大丈夫かぁ?と思いましたけどね、さっさと白状しちゃいますが、とても良かったです。小泉堯史の初監督作『雨あがる』よりも好きです。パニック症候群の治療を兼ねて東京から田舎に移り住んで来た夫婦の話。それだけの話です。しかし、この映画の奥深さは只者ではありません。ただ、この映画の良さはそれなりに年齢を重ねないと分らないかもしれません。今年91歳の北林谷栄は涙が出るくらい絶品です。また黒澤組の香川京子は凛としています。寺尾聡も樋口可南子も別に好きな役者ではないですが、抑えた演技に好感が持てます。また、喉を患い唖し役の小西真奈美は『息子』の和久井映見に匹敵する美味しい役ですが、やはりとても美しい存在として輝いていました。長野県奥信濃で1年間に渡る長期ロケを敢行した映像は、叙情的な加古隆の音楽に彩られて、これ以上は無いといえるほどの丁寧な作りなっています。この映画は全編を通して賞賛されるべき仕事と言えるでしょう。しかし!たったひとつだけ言いたい事が・・・この映画には決定的に欠けているモノがあって、それさえあれば凄い傑作になったんじゃないかなぁ・・・と、思いました。古き良き邦画を彷彿とさせる、名も無く貧しく美しくの「清貧」の思想を感じさせるこの映画は生真面目な映画で、それはそれでイイんです。でも、人が生きていく上には他にも必要なモノがあるじゃないですか。生きているだけで、そう感じさせるモノが。そう、ユーモアなんです。いとおしくなってしまうような滑稽な部分。北林谷栄のお祖母ちゃんにちょっとその雰囲気がありましたけどね。もっとクスっと笑える部分が欲しかったなぁ。まぁ、日本人が一番苦手としている表現なんですけどね。でも、この映画はジワジワ心に染み込んでくる素敵な映画でした。
75年作の『昭和枯れすすき』は、心の片隅に妙な感覚で居座っていた映画でした。今回フィルム・センターで上映されたので、その「妙な感覚」が何だったのかを確かめに行って来ました。新宿署の刑事、原田(高橋英樹)は青森から上京して、洋裁学校に通っている妹の典子(秋吉久美子)とアパートで慎ましく暮らしている。例によって妹は洋裁学校をいつのまにか中退、スナックで働いてるわ、チンピラ(下条アトム)と付き合っているわで、お定まりのコース。ところがこのチンピラが殺されてしまって、遺留品から典子が容疑者に!この映画は、藤田敏八の一連の作品で70年代を体現する女優として抜群の存在感を発揮していた秋吉久美子が、前年『砂の器』でほとんどの映画賞をさらっていた巨匠・野村芳太郎と組んだ異色作でした。脚本は新藤兼人。劇中、兄が語る両親のエピソード、母親は父親が出稼ぎ中に男を作って蒸発、父親はその後事故死!という話を聞いた時は、思わず噴出しそうになってしまいました。ただ、あの頃は、学生運動のドタバタから脱却した日本が少しずつ一億総中流化へ向けて歩き始めたばかりの時期で、出来れば・・・猫も杓子も大学へ!という状況の中、色んな事情から乗り遅れた人々も多く、明らかに恵まれた人達とそうでない人達との軋轢が様々な人生模様を生んでいたワケです。そういう意味では、今で言う2時間ドラマのような話なのですが、ラストの着地の仕方に新藤兼人の巧みさを感じさせます。原作は結城昌治の「ヤクザな妹」でヒット曲の「昭和枯れすすき」はオープニングにかかりますが、映画とは何の関係もなく、便乗タイトルってコトでしょう。で、「妙な感覚」ですが・・・このフィルムには、75年の当時の新宿が色濃く漂っていて、それも手持ちカメラのダマテン(許可のない撮影)のような感じで写されているんです。出来たばかりのサブナードを始め、歌舞伎町(映画の看板は『ドラゴン怒りの鉄拳』でした)、セントラル・ロード、アルタに変わる以前の二幸、新宿駅前交番、そして新大久保へ向かうところにある連れ込み旅館街等。当時学生だった小生が仲間と8ミリ映画を、同じ新宿で撮ったのが76年。8ミリと35ミリとの違いはありますが、映し出された映像は全く同じ空気の色だったんです。ちょっとビックリしました。
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