気ままな日記
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2008年06月07日(土) 武者修行??

先週、鎌倉・建長寺で「座禅1日体験+けんちん汁定食の昼食付き」に参加した。
 以前から座禅ってものに興味があり、一度参加してみたいと思っていたのが、このたび、本場けんちん汁付きというふれこみに、気持ちが大いに盛り上がり、迷わず申込んだのである。
 当日は生憎の雨模様、にかかわらずアジサイの季節とあって、北鎌倉駅周辺は、観光客や修学旅行生で賑わっている。
 受講生は総勢40名。方丈の間という座敷にずらりと半折り座布団を並べ、講師のお坊さんから、座禅の座り方や説法やらを聞く。ユーモアを交えた話しっぷり。近頃はお坊さんも、一段高い所に構えてばかりはいられないらしく、ザービス精神やタレント性が求められているようである。
 さて、本来”内また”のわたしにとって、胡坐のように外向きに足を開いて座るということ自体、苦行であることをすぐに悟る。股が裂けそうなんである。正式な姿勢(両足の先を、もう片方のももの上に重ねる)なんてことは、まさに神業。ゆるい姿勢でご勘弁を願う。
 警策(木の棒でピシャーンと背中を打つ、座禅の見せ場のアレですね)も、本来気のゆるみに喝をいれてもらうためのものなので、本当の修行の場では、喜んでやってもらったりはしないのだが、こういう体験教室のようなところでは、我れも我れもと申し出るので、打つ方も、しまいには手が痛くなる、とお坊さんが苦笑していた。
 確かに、わたしたちのように、お試しで体験しに来た人々にとって、あの棒でピシャーンとやられるとどれくらい痛いんだろう、せっかくなら打たれてみたい、話のタネになるし、と思うのもさもありなんである。
 天井に鳴り響く音だけ聞くと、ちょっと躊躇するものがあったが、せっかくだからと、わたしも試しに一度やってもらったら、これが背骨が割れるかと思うほど。音ほどには痛くないだろうとタカをくくったのは大間違いであった。
 まあ、ちょっと運動したら翌日にはあっちの筋肉こっちの筋肉が痛いものなのだが、裂けそうと思った足の付け根にも、砕けそうと思った背骨にも、後日全く後遺症は残らず。そういうところは、さすが禅である(って何が)。

 さて正午になるといよいよ、食事である。
 禅の精神にのっとった食事ということなので、当たり前のことなのだが、食前に、2つも3つも唱えるべきお経があるのには閉口。テーブルに並べられ、いい匂いを放っている料理を前に、わざとじらされているようで、なんだか「お預け」をくらっているような怨みがましい気分になる。肉体労働でないにせよ、「修行」をしたあとなので、なおさらである。
「せっかくのけんちん汁が冷めちゃうじゃないの」と、お経を読みながら気もそぞろ。いただきます、の合掌のあとは、冷静を装いながらも、やっと「よし!」と許された犬の気分。
 メニューはけんちん汁のほかには、ご飯、きゅうりと大根の漬物、厚揚げの煮物、水菜とえのきだけのお浸し、と質素なものなのだが、実に美味しい。おかわり自由と言う言葉に甘えて、けんちん汁のおかわりを山盛り天こ盛りにして席に戻る。
 配られた聖典に「むさぼり食べてはいけない」云々ということが書いてあったけど、見なかったことにする。
 しかしながら、食事というのは本当におなかが減ったときに必要なだけ食べるのが、なによりも豊かな気分になれるし、おいしいという当たり前のことを実感。
 食事のあとは、お坊さんのご案内で境内を見学、そしておひらきとなる。

 せっかく鎌倉まで来たんだから、ガイドブックに載ってたケーキを食べて帰ろう、などと煩悩が復活。
 むさぼり食べる欲深いものを禅では、餓鬼というのだそうで、私の中の餓鬼は、ちょっとやそっとの修行では悔い改まる気配はありません。


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