気ままな日記
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2008年03月08日(土) ひとりごと効果

 年度末の切り替えで、ひとり地下倉庫にこもって文書の整理をしていた時のことである。部屋の前を、清掃を委託している女性が、モップやバケツを持って通りかかった。年の頃は40台半ばといったところ、仕事を離れたら普段は一体どんな服装で過ごしているのか? と思われるようなバリバリの金髪レディである。
 やがて聞こえてきたのは、彼女のひとりごと。彼女の癖は、「ひとりごと」なのである。もう慣れっこになったが、「掃除中」の札が立った隣の男子トイレから、なにやら女性の話声が聞こえてきたときには、いったい誰と会話しているんだろう、といぶかったものだ。たかがひとりごととはいえ、その声の音量や話しっぷりは、優にひとりごとの域を超えているのである。ひとけがほとんどなく、音の反響する地下の廊下を伝ってくる声の妙味はまた格別である。一体どんなことを話しているのだろうかと、この際だからと耳を澄ますのだが、惜しいところで聞き取れない、微妙な音量。
 現在通っている診療所にも、以前、ひとりごとの癖のあるクリーンレディがいた。この方は、トイレの利用者のマナーの悪さに憤っていたのか、ひとりごとの雰囲気がいつも喧嘩腰だった。

 一人暮らしが長いとひとりごとは多くなると聞く。
昔、湯船から滴るしずくの音に紛れて、「一生の不覚」という元亭主のひとりごとが聞こえてきた時は、我が身を責められているような気がしたものである。
 かくいうわたしはといえば、職場で、「今、忙しいから話しかけないで欲しいなあ」という時に、仕事の手順をぶつぶつ呟いて見せて、周りからの働きかけをさりげなく「防御」しようと試みることがある。
 あるいは、目指していた店が閉まっていたとか、思っていたより寒かったとか、ちょっとした「感嘆」を発散したい時、町中の喧噪に取り紛れて周りに聞こえない音量で、「ええ! まじっすか〜」「信じられない!!」などと叫びながら歩くこともある。

  患者に不気味がられていた、クリニックのクリーンレディは、そのせいかどうかやがて見かけなくなり、今では、穏やかで人当たりのいい男性にとって代わった。もしかしたら、彼女の目には、周囲の目には見えない誰かが、はっきりと見えていたのかもしれない。

 安易に加わるわけにも、問い返すわけにもいかないひとりごと。当の本人は、習慣として、あるいは単に癖として、なんの気なしにつぶやいているに過ぎないのかもしれないが、時と場合によっては、周りにいろいろな心理的効果や影響を与えるもののようである。


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