囚はれのシネマ日記
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| 2006年03月24日(金) |
ベルンの町に雨がふる |
ベルン2日目は朝から雨だつた。 さうでなくてもくすんだ町はさらにどんより暗く見える。 今日はトゥーンからインターラーケンまで湖船に乗らうかと思つてゐたのに。 インターラーケン、二つの湖のあひだ。 その湖船からはユングフラウのうつくしい眺めが得られると言ふ。 しかしこの天候ではすべてが雨雲のベールに閉ざされてしまふだらう。 予定変更、せつかく世界遺産の町に来てゐるのだからその滞在を楽しめばいいのだ。 昨日の石造りのアーケードをもつと丹念に歩く。 端から端まで4kmの通りを。
時計台のそばの時計屋さんのウィンドウに可愛いオルゴールを見つけた。 一つは小さな透明なピアノの中の機械仕掛けが見えるオルゴール。 曲はエーデルワイス。 もう一つはピンクの宝石箱の蓋をあけると小さなバレリーナが鏡の前でくるくる回るオルゴール。 私たちは店に入りそれらを買つた。 そしてアーケードのおもちや屋さんに入り布製の絵本をそれぞれ買つた。 布製絵本はファスナーで閉じるバッグになつてゐて、娘のには指人形が、私のにはいろいろな魚がマジックテープで留めてある。 ほかにも木製の玩具など可愛らしいものをたくさん売つてゐて見飽きない。 文具屋さん、デパートにも入るがめぼしいものはなし。 アーケードのあひだにはある間隔をおいてが噴水があり、それぞれの噴水は意匠をこらされ伝説の人が据へられてゐる。 これらの噴水は14世紀ごろから人々や馬の喉をうるほしてきたものだ。 これらの噴水をよけるやうにして市電が走つてゐる。 すごくいい雰囲気の町だ、ベルン。
アーケード街のカフェの横の階段をのぼるとアインシュタインの家がある。 24歳のときに結婚し特許局に勤めながらここに居をかまえた。 そしてここに住んだ3年間にかずかずの革命的な論文を発表した。 なかでも「光電効果の理論」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」が発表された1905年は「奇跡の年」と呼ばれたと言ふ。 その奇跡を産んだのはとても小さな部屋の小さな机で、赤ちやんの揺りかごがあるのが印象的だつた。 3階ではアインシュタインの生涯のヴィデオを上映してゐて、韓国人らしい若い一団が見てゐた。 解説は英語なのであまり理解できなかつたが、日本に落とされた原爆のことも収められてゐた。
ベルンの旧市街はアルプスの水を集めたアーレ川が大きく湾曲し三方を断崖にかこまれた自然の砦、要塞都市である。 ヨーロッパの多くの都市が爆撃で破壊されるなか、中立を保つてきたスイスの首都ゆゑにほとんど無傷で中世のままの姿を残してゐるといふわけなのだつた。 午後になると晴れ間も見えてきた。 石造りの旧市街を離れキルヒェンフェルト橋のうへから眺めると、ベルンには緑が多いことが分かる。 そしてアーレ川もまた綺麗なみどりの色をしてゐる。
左が連邦議事堂、右が私たちの泊まるホテル・ベル・ヴュー・パレス(↓)
天気がいい日にははるかアルプスの山が望めると言ふ。 この日の夕食は日本語でメニューが書いてあつた時計台の広場、オペラハウスの向かひにある庶民的レストランへ行つた。 時計台の広場は市電の停車場になつてゐて勤め帰りのベルン市民でごつた返してゐた。 街角のバールにも溢れんばかりに人が集まつてゐる。 いづこも同じ金曜の夕暮れ。 一杯ひつかけてから家路につかうといふのだらう。 旧市街のアーケードの上もアパルトマンになつてゐて人が住んでゐるのだが、やはりアーレ川を渡つた緑の多い郊外に住む人が多いのだらう。 石造りの旧市街では子供も育てにくいだらうし。 店内はかなり混んでゐてビヤホールみたいな感じで、お爺さんが多し。 みな太鼓腹で赤ら顔でなぜかシャツの前をはだけてゐる。 私たちはスイスビールを飲み伝統料理ラクレットとチーズフォンデュを食べる。 ラクレットは美味しく、チーズフォンデェはほろ苦い味でありました。 私たちはもう目をつぶつてもホテルに帰れるほどベルンの町に馴れてゐた。
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