囚はれのシネマ日記
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| 2005年05月16日(月) |
ふたつのスペクタクル |
5月14日に寺山修司の『奴婢訓』を北千住のシアター1010で、5月15日にフェニーチェ劇場のオペラ『椿姫』を上野の東京文化会館で観た。 『椿姫』の方は一番前から2列目という席、指揮者の頭だけがオーケストラピットから浮かび上がる、つまり舞台に供へられた生首のやうに見える特等席にて鑑賞したのでございます。 この指揮者は急逝したマルチェッロ・ヴィオッティに代はるマウリツィオ・ベニーニさんといふ人。 このオペラのディーバはパトリツィア・チョーフィといふ小柄な美女。 西洋人としてはスリムな身体を露出度の高いうすものの衣装で垣間見せる。 死に至る病に侵されてゐる美女役なのだからおデブさんではいけない。 この楚々たる美女がうつくしいソプラノでせつせつと哀しみを訴へる。 でも話の筋書きは現代ではありえないほど退屈なしろもの。 演出は斬新だつた。 たとへば紙幣が枯葉のやうに降る林のなかのシーンなど。 いままでに『リゴレット』と『魔笛』しか生では観たことがないけれど、フェニーチェ劇場は歌手も演出も格段に洗練されてゐることが素人の目にもはつきり分かるものだつた。
『奴婢訓』はどことなくオペラ『トゥーランドット』を思はせた。 全体のケバケバしさや残酷趣味が日本といふより中国風。 芝居といふより暗黒舞踏+ロック・オペラ風。 これならヨーロッパでは大当たりするはずのオリエンタル風。 70年代「天井桟敷」の作品としてオランダ、西独、ベルギー、イタリア、ロンドン、ニューヨークと上演され、衝撃をあたへ、賞賛されたといふ。 パリではあのマンディアルグに「完璧な舞台」と賞賛され、シュールレアリストのアルトーがはたせなかつた「残酷演劇」を実現したと言はれたさうだ。 登場するのは下男、女中、召使、馬番、子守、料理人、とすべて奴婢。 でもご主人様は不在で、その椅子だけが存在する。 宮沢賢治らしき男、スキンヘッド下男、人間犬、露出過多の下女、快楽機械、エロティックな折檻機械などなど。 どれがどう関連するのかよく分からないままに、つぎつぎと繰り出されるサド・マゾヒスティックなイメージに翻弄される。 わたしは開演前にシャンパンを飲んだせいで途中でトイレ退出したら、巨大なご主人様の靴を運び入れるシーンの演出のために、しばらく客席へ入れてもらへなかつたせいでわけが分からなくなつたのかも。 人間が家畜となるとき、あるいは家畜が支配者になるとき。 なんだか目をそむけたくなるような、むくつけきテーマでございますこと。 寺山修司は同時代人より30年ぐらゐ先を行つてゐた。
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