囚はれのシネマ日記
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2004年11月04日(木) 悲歌

「なぜ、松原の言葉たちは斯くも遊びたがるのか。遊ぶことによって軽さや、余裕を獲得するためであろうが、裏を返せば、ともすると無言の方に傾いてしまいかねないほどの深い憂愁を松原の言葉たちは抱え込んでしまっているからだろう。」
北冬舎のYさんからさきほど送られたFAXにあつた書評の一部分。
タイトルは「満潮といふ悲歌」
宮野一世といふわたしの知らない(たぶん)詩人が書いてくださつてゐる。
ああさうだつたのか。
わたしはわたしの見知らぬ顔に気づかされる。
おそらくそのためにわたしは詩歌を作つてきたのだと思ふ。

「私は松原未知子がその一首一首に仕掛けた混沌を、想像力を全面的に発動させ、またペダンティシズムを総動員して、読み解き、享受し、堪能しようと努力する。そこに読みの快楽が次々に生まれてくる。共感といったフラットな感受ではない。言葉の偏愛の熱さ競べであり、松原未知子の精神のカブキ度合いにどこまで競り合えるかという勝負でもある。」
これは藤原龍一郎さんが「みぎわ」に書いてくださった文章の一部分。
そんな風にわたしの作品に向き合つてくださる人がゐるといふことに驚く。
わたしの生はまるで無為でもなかつたのだと安堵する。

思へば不思議だ。
ある種のひとたちはわたしに苦痛か憂鬱しか与へない。
そしてある種のひとたちは無償で喜びをもたらしてくれるのだから。


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