囚はれのシネマ日記
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2004年10月07日(木) デフ・シアター

ブロードウェイ・ミュージカル「ビッグ・リヴァー」はかなり好評のやうだ。
原作はマーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』。
それをデフ・ウエスト・シアター、つまり聾者と聴者が手話と声でともに演じる劇団が来日公演してゐる。
好評のわりにはチケットの売れ行きはいまいちらしく、わたしは得チケ(5000円割引のチケット)で青山劇場に観に行つた。
雨のふる先月の29日のこと。
ななめ前には手話で話してゐる女性たちが一列に席を占めてゐた。
主役のハックルベリー・フィンを演じる役者は聾者なので歌は吹き替へで、踊りの部分を手話でこなす。
といふかこのミュージカルのダンス部分は手話そのものなのだ。
ハック役の彼には演奏と歌はまるで聞こえてゐないのだと思ふ。
あの手話の観客たちにも聞こえてゐないのだと思ふ。
さう思ふとこのミュージカルがどんな世界に見えるのだらうかと不思議でならなかつた。
しかしすべての音が沈黙してしまふ瞬間がこのミュージカルにはあつた。
そして不思議なことに、そこに音楽を感じることができた、やうな気がした。
どうやら手話は音楽すら表現することができるらしい。
あのカントリー&ウェスタンの演奏と黒人霊歌そのものを。
聾者の世界はわたしが想像するよりずつとゆたかな言語を持つてゐるのかもしれない。
だいいち声が出せたつてそれほどゆたかな言葉を発してゐるわけでもない。
むしろ貧しい言葉を大量生産・大量消費してゐるだけなのかもしれない。

手話があまりにも官能的であることに驚かされたのは映画『ピアノ・レッスン』だつた。
あの映画を見て手話で語りたいといふ思ひをひそかに抱いた人は多いだらう。
ヒロインの娘は母親の通訳であつたがこんな風に言つたのを忘れられない。
「話す必要のあることなんてほとんどないつてママが言つてたわ。」



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