囚はれのシネマ日記
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2004年09月16日(木) 犬村

ラース・フォン・トリアーの『ドッグヴィル』をDVDで観た。
原題は『DOGVILLE』なので『犬場所』とか『犬状態』とでも訳すんだらうか。
わたしははじめ『DOGVILLA』と勘違ひして『犬荘』かと思つてゐた。
『犬村』といふニュアンスかも。
ニコール・キッドマンが逃げ込んだ村で飼はれ、手なずけられ、やがて首輪をはめられ、いたぶられ、逃げ…といふ成り行きは犬そのもの。
村人もまた「犬」であり、たやすく権力の犬となり従順な犬の群れとなる。
これはどう見ても今のアメリカが重なつて見えてくるではないの。
最後に大復讐劇が用意されてゐることも。
『華氏911』よりもつと悪意のある寓話として。
ラース・フォン・トリアー監督の作品はどれをとつても愉快ではない。
『イデオッツ』『奇跡の海』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。
主人公はだいたい知的障害者や肉体的障害者だ。
不安定な画面としつこい繰り返しで観客が辟易するのが狙ひなのかもしれない。
見終はつてカタルシスはなくしこりのやうなものが残る。

もうひとつ『デュラス 愛の最終章』をテレビで観た。
原題は『CET AMOUR-LA』。
『このあそこの愛』とでも訳すのかしら?
もうひとつロジェ・バディムの『危険な関係』(1959年)も。
このふたつの映画のあひだには42年の歳月が流れてゐる。
つくづく歳月は残酷だと思ふ。
1日のうちにジャンヌ・モローの顔が歳月にはげしく破壊されたのを目撃した。
熟成でも風化でもなくて、破壊。
そしてあのアルコールに焼けた獣のやうなしやがれ声。
カラス(マリアにあらず)ですらもつと美声で啼くものなのに。
西洋の美女の貌には険しい崖があるがゆゑにすさまじい崩壊現場ともなるやうだ。



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