囚はれのシネマ日記
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2004年06月09日(水) 欲望のあいまいな対象

ルイス・ブニュエルの映画はどうしてどれもこれも欲望を刺激するんだらう。
『昼顔』『哀しみのトリスターナ』『自由の幻想』『欲望のあいまいな対象』。
ただし初期の『アンダルシアの犬』だけはいただけない。
あのカミソリで眼球を切り裂くシーンだけはいまだに直視できない。
人間ではなく山羊の眼球でやつたさうだけれど直視できない。
まるで見てゐるこちらの眼球を切り裂かれるやうな苦痛がある。
そのわずか20分ほどの映画がなんと多くを語つてゐることだらう。
まるでながい悪夢にうなされてゐるやうな気分だ。

悪夢といへばブニュエルの映画はみな悪い夢のやうなものだけれど。
アンダルシアの暑い夏の午後、つまりシェスタで見る悪夢だ。
アンダルシアといふからにはグラナダかセヴィリアあたりかと思つてゐた。
しかし撮影されたのはパリだと最近になつて知つた。
ただし最後の海岸のシーンはスペインのカダケスではないかと思ふ。
ふと海岸で抱き合ふ男女はダリと愛人のガラではないかと思つた。
ふとその暗喩であるやうな気がした。
あの映画はダリが脚本を書いてゐるからかも。
とにかくあんなぶつ飛んだ映画にはそののちもお目にかかつたことがない。

思へばわたしが映画好きになつたきつかけは『昼顔』だつた。
『昼顔』ではパリのうつくしき頽廃を見せつけられた。
ヒロインを演ずるドヌーヴ=パリとしてわたしは心にきざみつけた。
『哀しみのトリスターナ』ではトレドのゴシック的うつくしさを。
『欲望のあいまいな対象』ではセヴィリアの異教的うつくしさを。
そしてブニュエルが撮つたその場所にわたしは行きたくなる。
心はすでにそこへ行つてゐる。
体もどうしてもそこへ行きたくなる。
(つづく)


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