囚はれのシネマ日記
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| 2004年05月27日(木) |
おやじズレ(ウサギづれにあらず) |
さつそくNさんからメールをいただいて謎がとけた。 きのふの小説の「ミューズを描写し、ミューズそのものになりきって詠う歌集」とは『手紙魔まみ…』のことだつたのだ。 わたしはその歌集もミューズのウェブ日記も読んでゐないのでなんとも言ひやうがない。 ただ知的で虚無的な姉の日記が急に関西弁(ただしくは神戸弁かな?)に変はり、えげつない調子で熱を帯びたことに驚いたのだつた。 「九月六日金 きのう発見した日記を通読。歌人の描くミューズとミューズの描く自身の差に慄然とする。」 ここまではいいのだけれど、そこから先で姉の情念は煮えたぎつた湯のやうにあふれる。 いつたい何が作者の逆鱗に触れてしまつたといふのだらう。 ちよつとだけ引用すると 「歌人の薫陶受けた娘と謀ってしもて、とっくに賞味期限切れやん、歌人においしいとこだけさらっていかれたわけやな、やるなあおやじ(中略)おやじにちやほやされておやじズレすると日本語は退化するで、ほんま、成長できんまま老いていくんやろか、きしょくわりぃ。」 (注 引用文中のおやじとは著者の穂村さんをさしてゐるらしい) このやうに作者もいきなりおやじに変身してしまつたやうな文体になつてゐる。 そして日本語を憂へてゐる。 そしておやじと娘の両方に怒つてゐる。
フィクションのなかには生々しい感情が随所に織り込まれてゐる。 書かれたものはすべて色つぽいと思ふのはこういふことが起こるからかもしれない。
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