囚はれのシネマ日記
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すべてのエクリチュールはエロチックな趣がある。 言ひ換へれば、すべての書かれたものは色つぽい。 小説でも詩でも短歌でもウェブ日記でも。 たまには例外もあるけれど。 つまりすべての人にその可能性はあるのではないだらうか?
『すばる10月号』の清水博子の小説『カギ』を読んでそんな風に思ふ。 姉はパソコンで非公開の日記を書いてゐる。 妹はパソコンで公開の日記を書いてゐる。 ふたりはともに30代。 姉は夫に死なれたばかりだがかなりの財産を残されたので「余生」としての人生を送つてゐる。 妹は娘を親に育ててもらつてゐるのに有名幼稚園入園や買ひ物や外食やマンション購入に余念のない、ブランドあさり妻だ。 姉に言はせればろくに本を読んだこともなく、文章も書いたことのない妹が日記を公開するのは馬鹿みたい、だ。 いつぽう姉は小説家志望であつたし短歌をやつたこともある。
その姉は家にこもり、株のインターネット・トレーディングをしたり、宅急便でグルメ食材を取り寄せたり、ワールドカップを見たりの日々。 育児を放棄した妹は表参道で買ひ物したり、ホテルでお茶を飲んだり、夫と外食したりの散財の日々。 マンション購入もままならないのによくそんなお金があると思ふ。 ようするに、この妹はありきたりな欲望に突き動かされてゐるだけなのだ。 小説はそんな姉の冷ややかな視点から書かれてゐるやうだ。 妹がウェブ日記を書く理由は分からない。 でもウェブ日記で公開するために私生活があり、そのため私生活で見栄を張る、といふことは分かる。 結局、妹は自分がメディアとしての権力を得たやうな勘違ひをして、まことにお粗末な結末にいたる。
ところで、その短歌をやつたことのある姉の日記の一部分が気になつた。 「九月五日木 ある現代歌人にミューズがいる。現代歌人がミューズを描写し、ミューズそのものになりきって歌う歌集が昨年夏上梓された。女性歌人になりそこねたわたくしはその歌集を愛読している。ミューズ本人が書いているウェブの日記を発見。」といふくだり。 日記が書かれたのはワールドカップのあつた年、その前年といふことは2001年の夏。 いつたい誰の何といふ歌集なんだらう?(分かつた方はメールください)
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