囚はれのシネマ日記
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フランソワ・オゾンの『スウィミングプール』を観た。 日比谷のシャンテ・シネ。 上映20分前にはすでに長蛇の列。 前日の朝日の夕刊の映画評とレディースデイの割引料金のためだらう。 フランソワ・オゾンの映画はいつもスキャンダラスに予告される。 プールサイドに寝そべつたビキニの若い女の写真に象徴されるやうに。 だからDVDの発売を待ちきれずわたしは映画館まで足を運んでしまふ。 『8人の女たち』『まぼろし』そしてこの『スウィミングプール』。 シャーロット・ランプリングがパトリシア・ハイスミスばりのミステリー作家を演じる。 売れ子作家ではあるが華はなく、ハイミスの意地悪さと意固地さをうまく表現してゐる。 舞台は南仏。 曇り空のロンドンから陽光の南仏へあたらしい小説を書きにゆく。 (場所はサドの城があるラコストの隣村リュベロンらしい) そこに編集者の別荘がある、プールつき、しかも編集者の娘つきの。 南仏に来ても彼女の友はパソコンだけ。 ときおり村のカフェに寄るだけであとは孤独にキーボードを打つのみ。 しかしあるときから彼女は妖しく華やぎだす、やうに見えた。 それは殺人事件の端緒をつかんだときからだ。 そしてシャーロット・ランプリングは57歳のヘア・ヌードを見せる。 それが綺麗なのか醜悪なのかよく分からない。 さういふことを超えて「イコン的」な存在をめざしてゐるのかもしれない。 結末はなんだなんだ、といふ感じで期待するほどのことではなかつた。 それは『8人の女たち』でも『まぼろし』でも味わつた落胆だ。 パトリシア・ハイスミスの『リプリー』を映画化したルネ・クレマンの『太陽がいつぱい』には遠くおよばない。 ただし、この映画は女流ミステリー作家の気息の描き方には素晴らしくリアリティがあつた。 それはまるでプールの水のゆらめきのやうに微妙にさざなみを立ててゐる。 この映画の舞台がプールつき別荘でなければならない理由がわかる。 わたしはシャーロット・ランプリングのすべての仕草と表情に集中した。 その演技に惜しみない讃辞をおくりたい。 そして監督にも。 フランソワ・オゾンは女の自意識といふものを女以上に分かつてゐる男だ。
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